努力が重んじられる国日本。
努力によって人生は大きく変わる
はずです。
わたしもそう思っていました。


しかし黙示録13章には、驚くべきことが書いてあります。
「 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、
世の初めからその名を書きしるされていない者はみな、
彼を拝むようになる。」
 

この世界の初めから、すでに救われる人、
救われない人が誰であるか知っている。と言うのです。
 

そしてなんと、ローマ人への手紙9章18節には
「 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、
またみおこころのままにかたくなにされるのです。」
 

救われる人、救われない人は
神様が決めておられるともとれなくもないのですが、、、

第1テモテ2章4節では

 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。


とありますから、一人でも多くの人を救うために、
時には人を頑なにさせる場合もあると考えます。

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聖書の神は全知全能ですから、
一瞬にすべての人を救うこともおできになります。
しかし、おそらく神は、人間一人ひとりの個性を大切にし、
そして一人ひとりの人間としての自尊心を非常に
大切に考えておられるから、あえてこのような実に時間のかかる、
効率の悪い方法で人間を救おうとお考えなのだと推察致します。


愛とは、実に不便で非効率です。


そして決定的なことがローマ人への手紙11章36節ではこうなってます。

「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、
神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。
アーメン。」


この世界の森羅万象、人間の営みすべては神の管理下にあり、
すべての結果は神によって決まると言っていると思います。


聖書の神はすべてを造られました。大自然も人間も、すべてです。
ですから、神は大自然そして一人ひとりの人間の個性まですべてご存知です。


その上で、一人でも多くの人間を救うために、
すべてのことを実に繊細にそして情熱を持って行なっておられます。
 一人ひとりの個性に応じ、時には頑なにさせたり、試練に合わせたり、
ある人を先に救ったり、ある人は後で救ったり、
そして残念ながら救われない方もおられるということでしょう。


繰り返しますが、神はすべての人を救うこともお出来になります。
ですが、一人ひとりの意志を尊重なさるのではないでしょうか。
神はそれほどまでに人格を尊重されるが故に、一人ひとりを大切に扱われます。


これぞ神の愛ではないでしょうか。

 
「すべての結果は神によって決まる」
ということは、努力はどうなるのでしょうか?
結果を出すための努力なのではないでしょうか?

 
努力は、結果が出た時の達成感を味あわせるため、
そして、自分の思うような結果が出なかった時には
自分の思いよりももっと素晴らしい結果が用意されていることを
気付かせるための努力なのだと思います。


結果は自分で決めるものではありません。
神が決めることです。ですからプレッシャーに悩ませることはありません。


結果は自己責任ではありません。