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イエス・キリストは、決して因果応報や自業自得なんてちっぽけな神様ではありません。

2016年7月28日


このコーナーはほぼ一か月ぶりの更新になりますね。


ところで、前回までの投稿を読み直してみて、わかりにくいなあと思うところを加筆修正致しました。お時間ございましたら、前回までの投稿(2016年7月28日という日付の前までの文章)もあらためてご覧頂ければと思うんです。


ところで、ところで、聖書の一番最初といえば、



創世記ですね。


創世記。クリスチャンでない方でもこの言葉はご存知の方がおられるでしょう。



創世記は聖書で一番最初に出てきますから、聖書でも最も読まれていると言われています。


創世記を読んで感じることは、



やはり、イエス・キリストははんぱなく、猛烈に救われた人を愛しておられる。


ということです。



アブラハムと言う人が出てきます。


アブラハムは神さまから、

「今から旅に出なさい。おまえを偉大な国民の父にしてやろう。おまえを祝福しよう」


と言われ、その通りに旅を始めました。


旅には危険がつきものです。


エジプトに来たとき、妻のサライが綺麗なので、妻を奪うためにアブラハム自身が襲われるのではないかと思い、サライにアブラハムの妹だと言わせました。兄という立場なら逆に良くしてもらえると考えたのです。


案の定、アブラハムは多くの羊、ロバなどの家畜、男女の奴隷などを王からもらいました。


アブラハムは恐れました。神様から祝福を約束されているのですから、恐れず神様を信頼していれば大丈夫だったのに、神を信じずに自分で策を講じました。


このあと、王にサライが妻であったことがバレて、アブラハム夫妻はエジプトから追放されました。しかし、獲得できた財産までは没収されませんでした。。


ここで、不思議に思うのは、自業自得ではないんです。神を信じずに行った行為ですから、神様から見れば反抗的な行いであったわけですから、アブラハムに対して何か懲罰的な結果がもたらされても不思議ではありません。


しかし、妻は王の手から戻され、そのうえ財産までも手に入れることが出来たのです。


アブラハムは放浪の旅を続けることになりました。アブラハムは非常に裕福になりましたが、一緒に旅を続けてきた甥のロトも裕福になったので、同じ場所では管理出来なくなり、ロトはソドムとゴモラという町に引っ越すことになりました。


そのころ、その地方で大きな戦争が起こり、甥のロトが捕虜にさせられてしまいました。


このロトを救出するために、アブラハムを一族総勢318人を引き連れ、戦争に勝ったほうの軍に対して、夜、奇襲をしかけました。それがまんまと成功してしまったのです。ロトだけではなく奪われた財産までも取り戻すことが出来たのです。


地域を治める王に率いられるような軍隊に、親戚連中で組織した素人集団が勝利したのです!!!!


ありえません。大体、このような軍隊に奇襲を仕掛けることすらありえないのですが、それが成功までするのは信じがたいことです。


アブラハムが奇襲を決起することが出来た背景には、先のエジプトでの経験もあったのではないかと思います。神様への信頼がより強くなったのだと思います。それがあの奇襲作戦につながり、勝利までしてしまいました。


神さまが約束してくださった通り祝福されたのです。


この祝福は、アブラハムの子孫の代になっても続きます。


アブラハムの孫にあたるヤコブは、ヤコブには双子の兄エサウがいましたが、神さまから「兄が弟に仕えるようになる」と約束されていました。


ヤコブの父イサクが晩年に長子であるエサウに祝福を与えようとしましたが、ヤコブは母と結託し、兄に変装し、父を騙して祝福を奪いとりました。


このことで、ヤコブは兄から遠ざかり、母の実家のあるカランの地に逃れることになりました。


ヤコブはそこで大変な思いをするものの、結果的に12人の息子と1人の娘を与えられました。



ヤコブも策を講じてしまいました。それでほぼ追放されるような形になってしまいしたが、多くの子供に恵まれることとなりました。ヤコブも約束されていたのですから、策を講じる必要はありませんでした。でもヤコブにはまだ神様への信頼がありませんでした。信じられなかったのです。


そして、そして、祝福物語は続きます。


ヤコブの息子たちの中でも、ヤコブが本当に愛した妻ラケルの子であったヨセフは腹違いの他の兄弟よりも父に愛されていました。


妬ましく思っていた兄弟たちは、ある日ヨセフを売り飛ばしてしまいました。兄弟は父ヤコブに対しては、野で野獣にかみ殺されたとうそをつきました。


売り飛ばされたヨセフはエジプトに行きました。そこでやることなすこと成功したヨセフは王に取り立てられ、王の次に偉い立場で行政を任されることになりました。


全世界的な飢饉に見舞われていたものの、エジプトだけは食糧を蓄えていたため、難を逃れていました。さらに諸外国からエジプトに食糧買い付けにくる人も大勢いました。そんな中に、このヨセフを売り飛ばした兄弟達も買い付けにエジプトに表れ、ヨセフと運命的な出会いを果たし、彼ら兄弟をはじめヤコブの一族はエジプトで不自由なく暮らしていけるようになったのです。


如何でしょうか。救われた人でも、時には信じられず、罪を犯してしまいます。しかし、それら一つ一つを通して、どういう訳か祝福というか、憐みを与えて下さるのです。神に従わなかったとしてもです。


聖書の神は、イエス・キリストは、決して因果応報や自業自得なんてちっぽけな神様ではありません。


何よりも救われた人と良き信頼関係を構築されたいとお考えの神様は、そのためにはすべてのことを用いて、たとえそれが間違いであったとしてもそれを活かして祝福し、神様への信頼関係を築いてくださるのです。


というわけで、やはりタイトルはおかしいですね。「聖書に従うとどうなるのか実験してみますので。。。」従うというのは、失礼。アブラハムやヤコブたちの歩みを見てもわかるように、従えないけれども、すべてを益に変えてくださる神がいました。そして神が必要をも満たしてくださいました。奇跡もありました。


だから、救われた人には神はどうされるのか??人は救われるとどうなるのか?にタイトルを変更致します。


人生楽しみですね。神は何をして下さるのか。奇跡だってありますよ!!

人生は自分で切り開くものといいます。日本人にとっては常識かもしれません。


しかし、

クリスチャンにとっては、神様が切り開いてくださる人生を楽しむ。ということになります。自殺なんかしている場合ではありません。


よく、クリスチャンは聖書で禁じられているから自殺しないなんて言われますが、違います。神様が切り開いてくださる人生を楽しいから自殺なんかしてる場合ではないということです。


何をやってもそれを有効活用してくださるんです。信じられますか?


救われた人ってどんだけ素晴らしいのでしょうか?


救われたとは、受け身の表現です。これは人間には出来ないということなんです。人間自身には自分自身を救うことが出来ないということです。


それは神様がお出来になることです。救われるためにはどうすればいいのでしょうか、


救われてイエス・キリストを信頼する。

でも人間には出来ないんでしょ??そうなんです。

だから神様に救ってもらうしかないんです。どうすれば救ってもらえるか?


少しでも救ってもらいたいと思えば救ってくださいます。・・
 文中の、2016年7月28日以降が本日更新したところです。