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前回、神は今も生きておられるのかと題しましたが、かなり乱暴な文章であったことをお詫びします。




まず、神は生きておられる根拠として、 

 宇宙とその秩序、あらゆる生物とその構成要素は計画に基づいており、設計による結果であることに気付くでしょう。昆虫の羽などに見られる複雑な構造、膨大な量の水を吸い上げ、最上の枝にまでそれを運ぶ木々の機構、諸惑星の配列、大気中のガスの割合、それら全ては類稀な完璧さの例です。
無限に多様なこの世界のあらゆる詳細において、人は創造主を見出すことが出来ます。(The religion of Islam)


としました。


これは、神が今も生きておられる根拠としては、不十分ですね。


この説明からですと、勿論今も生きている可能性はありますが、 この世界を創造したあとに死んだ可能性も排除できないからです。



でも、キリスト教、そしてイスラム教では今も生きていると信じているわけです。




その根拠は何でしょうか?


イスラム教では、

神の存在は、そもそも「何処に」と答えられるようなものではない。時空を超越し姿形を有さないにもかかわらず、神は人間とコミュニケーションを行う人格神である。

と信じられています。コミュニケーションを取る神である根拠は、クルアーン(コーラン)の存在になります。


アッラーはその御心を人間に示し、生きる道を教えるようなクルアーンの存在こそ、神が今も生きてコミュニケー



ションを取るお方である根拠です。




キリスト教でクルアーンに当たるのが、聖書です。


やはり、聖書を通して人間に語り、聖書に書かれている信仰によって、そして信仰からの祈りによって、



神さまが生きて働いておられることを知ることが出来るとしています。


プロテスタントの生みの親、マルチン・ルターは「聖書はイエス・キリストそのものである。」

と言いました。




聖書が言う信仰とは、イエス・キリストへの信仰です。


信仰とは、人生のすべてにおいて、キリストに自分をお任せすること。



ということです。人生のハンドルをイエス・キリストに握ってもらうことということでしょうか?


そして、人生の様々な場面で沸き起こる様々な感情、思いを祈りによってキリストに打ち明け、時には慰めを得、時には具体的な決断のきっかけとなるような働きかけ(導きとクリスチャンの間では言っています。)を得ながら
人生を歩んでいくことに他なりません。




ちなみに私もキリスト教徒ですから、



実際、聖書を読み、祈ることによって神さまが生きておられることを体験できています。これは実に主観的なことですので、言葉ではこれ以上説明が難しいです。



今日は、この辺で、、。チャオ!!