
キリスト教徒から見るイスラム教シリーズは、あっという間に今日で第4回を迎えます。
ほんとにあっという間でした。
あっという間に感じるくらい、中身が濃い取り組みだと感じています。
イスラム教について勉強するつもりだったのですが、結果的にキリスト教についての理解につながっている感じがしています。
これについてはまた、ゆっくり投稿したいと思っております。
さてさて、
第3回まででわかったことをまとめたいと思います。
一言で申しますと、
以外に日本人の常識に近いということ。そして、キリスト教はハチャメチャであるということです。
キリスト教については、どういう形容の仕方がふさわしいのか見当もつきません。
ふしぎ。。これもわかるような気がします。
キリスト教の神は、ちょっと人間を甘やかせすぎちゃうんか??人間にあまりにも都合よすぎるちゃうん?
なぜこう思うかは、過去の投稿をご覧ください。
【キリスト教徒から見るイスラム教】出来るところからわかりやすくまとめて行きます!
【キリスト教徒から見るイスラム教】第2回 自分のケツは自分で拭かなければならないのか?
【キリスト教徒から見るイスラム教】第3回 戒律は何のためにあるのか?
甘い話には気をつけろ!!といいますから、キリスト教は気をつけたほうがいいかもしれません。
でも、こんなことも言われます。
出る杭は打たれる、でも出すぎる杭は打たれない。
甘い話には気をつけろですけど、甘すぎる話はどうなんでしょうね。。
今回改めてわかったことですけど、キリスト教って間違いなくこの世のものではないですね。。
こんなこと、人間が考え付くわけがありませんよ。
ちょっとIQが高ければ、考えられるとか、そういう次元ではないですね。
宇宙人がもしいたとしたら、宇宙人が考えたんかもしれませんけど、それだったらそれで会いたいですよね。。
こんなこと考えられる宇宙人やったら、めっちゃええ人ですよ。。めっちゃよすぎる人です。。(笑)
今回精一杯、キリスト教とイスラム教を公平中立に見ていこうとしてます。
まあ、私はキリスト教徒ですから、どうしても贔屓目に見てしまっているのかもしれませんから、話半分で読み流してくださってもいいですけどね。。。
さあ、そして、イスラム教はといえば、ぶっとんではいません。
常識的です。だから、普通の日本人にも受け入れられてもいい気もしたんですけど、過激派の影響もあろうかと思いますが、評判は決して高くないですよね。
でも、過激派の問題がなくても、どうでしょうか?ちょっと異質なものだと感じる方がおられるのではないでしょうか?
それは、日本人にはちょっと過剰に思える戒律なのではないでしょうか?
一日に5回もメッカの方角を向いて祈るだとか、
女性が身に着けるヒジャブとよばれる頭に巻く布だったり、保守的なムスリムで見られる、目だけしか出さない服装であったり、なのではないでしょうか?
まずは礼拝について考えたいと思います。
イスラム教徒はアラーという神を信じています。彼らの人生の本分は、神への信仰と服従です。
アラーという神が今も生きて存在しておられるという信仰があるのです。ここがまず日本人には理解出来ないことが原因だと思います。
しかし、人間は日常生活に追われ、ついつい神様のことを忘れてしまいますよね。。
だから、このことを思い出すために礼拝を捧げているのです。
そして服装ですが、
イスラームは、犯罪の危険性から社会を守ることを目指します。もしも犯罪が厳罰によって裁かれなければ社会が深刻な危険に晒されることは周知の事実です。
アッラーは社会の秩序にも関心を持っています。コーランには
それから女の信仰者にも言っておやり、慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう。(二四章三一節)
とあります。これが女性の服装についての考え方のベースになっていると言われています。
実際、男性が女性を見るときに覚える情欲によって姦淫を犯すことを防ぐ目的があります。理に適っていると思いますね。
日本人には奇異に映るかもしれない礼拝や戒律は、絶対的なアッラーが生きていると信じている。神が生きているという意識に起因しているのです。
ではなぜ、イスラム教徒やキリスト教徒は神が今も生きていることを信じられるのでしょうか?これについてはまた後日。。
引用:イスラム世界がよくわかるQ&A100
http://www.aa.tufs.ac.jp/~masato/awr_94.html
