アメリカ・フロリダ州オーランドで今月12日に発生した銃乱射事件の後、



アメリカをはじめとして、福音派、その中でも特に原理主義的なクリスチャンを批判する論調がメディアやSNSなどで目立ち始めています。




ACLU(アメリカ自由人権協会)所属のチェース・ストランジオ弁護士は、



右派系クリスチャンは、ここ半年で200にも及ぶ反LGBT法案と反イスラム教主義者を生み出し、その結果、LGBTに反対するイスラム教徒に襲撃されるという何とも奇妙な結果をもたらした。

とキリスト教右派への批判を強めています。


IS(イスラム国)は、事件の前の今月9日に、テロを起こす地域や国のリストを公表し、フロリダについては特に重要なテロの標的であることを示唆していました。


今回、同性愛者が多く集まる場所を狙われました。



同性愛者については欧米、特に保守的キリスト教徒が多い国では論争の火種になるトピックであり、キリスト教保守派、キリスト教右派、原理主義者などと言われる人々も同性愛を認めておらず、今回のような事件を起こすことで、より大きな分断を生み出す意図も感じられます。

そして、イスラム教でも同性愛は一般的に認められていません。


イスラム教が多数派を占める主要国の中で、少なくとも10か国では、シャリーアと言われるイスラム法に基づき、同性愛者は処刑されることになっているなど、決して一部の過激派イスラム教徒の考え方ではありません。



イスラム教とキリスト教について改めて整理したいと思います。



イスラム教とキリスト教、そしてユダヤ教は同じ神を信じているという考え方があります。


が、これはかなり乱暴な見方です。厳密に言うと違います。


キリスト教の神は、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊からなる神です。これを三位一体の神と言います。


イスラム教の神はアッラーで、キリスト教での父なる神に相当します。


ですが、イエス・キリストと聖霊は認められていませんので、同じ神であるというのはいささか乱暴な見方でしょう。


キリスト教から見ると、神は父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊という3つの存在が揃って唯一の神ですから、アッラーだけが唯一の神としているイスラム教とは違うといったほうが正確です。



そして、


この違いが、互いの信仰形態、生活スタイルにも大きな違いを生んでいます。



キリスト教ではイエス・キリストが人間の罪の身代わりとして死んでくださり、甦られました。

人間に求められているのはこのイエス・キリストを救い主として信じることだけです。

そして信じるものには聖霊様がともにいて下さり、信じる者の人生いっさいを見守り、導き助けてくださいます。


しかし、イスラム教では、キリストも聖霊もいませんから、人間が努力して、神様の戒めを守っていく必要があります。

だから、イスラム世界では、戒めを守るために服装や食べ物が規定されるだけでなく、さまざまな戒律が日常生活に浸透しているのです。



キリスト教は、信じることのみですから一切の戒律から解放されています。




これを踏まえたうえで、同性愛についてのイスラム教、そしてキリスト教の考え方を見ていきたいと思います。


まず、キリスト教では旧約聖書で、イスラム教でもコーランに基づくシャリーア(イスラム法)で同性愛を禁じています。


イスラム教では、人間は努力しなければなりません。ですから同性愛にならないように頑張らなければなりません。努力しないのであれば罰せられます。努力できないのではなく、努力しなければならないのです。義務です。
だから処刑されることになります。




一方、キリスト教では、人間は努力は出来ないので、キリストが代わりに処刑されたのです。イエス・キリストが身代わりに処刑を受けてくださったのです。イエスさまを信じることによってすべての罪が許されます。同性愛だって赦されます。だから、同性愛者を直接責めることには意味がありません。責めたところで所詮人間ですから、努力できませんしそう簡単にやめることは出来ません。

キリスト教で重要なことは、イエスキリストを信じることだけです。すなわち、イエスキリストとひとりひとりの人間とが信じることによってつながる、コミュニケーションをとることがすべてです。


ですが、一部のクリスチャンは、旧約聖書に基づいて同性愛を認めないことを強く主張しています。


このようなクリスチャンにも、わたしが気づいていないような根拠を持って同性愛を認めない主張をされている可能性もありますので、わたし自身がこのような人を責めることは出来ません。






キリスト教は、イエスと人間がパーソナルに自発的につながることがすべてですから、イエスとの関係をほかの人に強制させることも意味がありません。個々が自発的に繋がることが求められています。

たまに、クリスチャンがイエスキリストを押し付けてきてうざい。。



という声を聴きますが、押し付けているのであれば、気にする必要はありません。いやなら断ればいいだけです。イエス様との関係があまりに素晴らしいものだから、力余って押し付けているようになっているのかもしれません。。。


でも、イスラム教は正しい行いをすることがすべてで、その正しいことは人間全てにとって普遍的であると考えます。実際のところコーランには、イスラム法(シャリーア)が全世界を治めるべきであると書かれています。(Sura 2: 190-193)*Suraは章の意味。


引用&画像

GOSPEL PRIME
https://noticias.gospelprime.com.br/editorial-midia-igualar-isla-cristianismo/