エチオピアの女王カンダケの宦官が、西暦36年にキリストを受け入れてからの足取りについて、私が調べる限り、、いまのところわかりません。
ただ、少なくともその後、宦官の母国メロエ王国にキリスト教が普及していった形跡はありません。
エジプト地方では、福音書の記者マルコによって伝道活動が活発化し次第にクリスチャンが増えていきましたが、エジプトのクリスチャンの著作物にもメロエ王国でのキリスト教については何も記載されていません。
メロエ王国は引き続き異教徒国家としての歩みを続け、350年に滅亡しました。
そして、時代は6世紀まで進みます。
この時代には、かつてメロエ王国のあったスーダンとエジプトの国境付近には「ノバティア」「マコリア」「ドンゴラ」という3つの王国がありました。
これらの国々と接していた東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世は、彼らが侵入してこないように、友好関係を築こうと模索し、キリスト教の布教を開始することにしました。
皇帝ユスティニアヌス一世

皇帝ユスティニアヌス1世にはテオドラという奥さんがいました。彼女もクリスチャンでしたが、皇帝とは異なる信仰を持っていました。。
皇后テオドラ

当時の東ローマ帝国では、イエス・キリストについて2つの考え方がありました。
一つは、ニ性一人格論と呼ばれる考え方です。これは、
キリストは100%神であって、100%人であるというもの。
100%神で100%人なんて理屈ではありえないんですけどね。
この考え方は、現在のローマ・カトリックやプロテスタントで受け入れられています。私もこの考え方ですね。
ここが、キリスト教のおもしろいところだと思ってます!!!
ありえないから、これはやはり人間が生み出したものではなくて、
神様がお考えになって人間に下さったものなんだと私は理解しています。。
もうひとつは、単性論という考え方です。
これはキリストには人間と神が混じり合っているとするもの。
人間+神=イエス・キリスト
というように数式化できる考え方です。
このほうが、すっきりしませんか?
これありえる話です。でもありえるからこれは結局人間が考えたものなんじゃないかと思うんですよ。。
まあ、私にはどちらが正しいかなんて言う資格はありません。神様が決めることです。私にはわかりません。。が二性一人格論を信じています。そのほうが個人的にはしっくりくるから。。
ところで、ところで、皇帝ユスティニアヌス1世はニ性一人格論者でした。ですが、奥さんのテオドラさんは単性論者だったんです。
このテオドラさんは、女傑として知られています。もともとサーカス使いで娼婦まがいのことをしながら生計を立てていましたが、皇后にまで登りつめたからです。。豊臣秀吉みたいですね。。
テオドラさんは旦那が、ニ性一人格論を布教するのがいやでいやでしょうがありませんでした。
そこで、夫より先に、隠れてジュリアーノという使者を送ることにしたんですね。
ジュリアーノは、ノバディア王国の王に単性論でキリスト教を伝え、見事王様を改宗させることに成功しました。。
そのあとすぐに、皇帝の使いも到着しましたが、、あとの祭りだったということです。
この単性論の考え方をする人たちはコプト派と言われていますが、現在エチオピアや南エジプトなどにコプト教信者が多い理由はこの夫婦のいさかいだったんですね。。
引用:alem-mar.org
http://www.alem-mar.org/cgi-bin/quickregister/scripts/redirect.cgi?redirect=EEuklVVVFAaBytZClF
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