
善はイスラム、悪は西洋
イスラム世界にはこんな格言がある。アメリカUCLAの社会学者カルロス・アルバート・トーレス はこれを引合いに出して、第3次世界大戦は数年以内にISやボコ・ハアムなどのイスラム系過激派によって引き起こされるのではないかと発言した。
先週ロシアのメドベージェフ首相も、シリアへの地上戦介入は第3次世界大戦の引き金になりうる」と警鐘を鳴らしている。
イスラム教には戒律がある。戒律に従うことが善、逆らうことが悪ということになる。この戒律に従えば、これ以外の価値観は全て悪ということになり西洋の価値観、当然キリスト教の教えも戒律に抵触しているので悪ということになる。
戒律が生まれる背景について少し考えてみたい。これはその戒律を創る人の人間理解と深く関係している。
例えば、生まれたばかりの赤ちゃんに対して何かルールを求めるだろうか?決まりを与えるだろうか?ルールとは、課す対象に実行能力があると考える場合にしか与えられない。 戒律を創った人には人間には実行能力があると考えていたことになる。この考えが哲学で言うところの「性善説」になる。 だからイスラム教は性善説ということになる。だから人間には出来るはずなのだから、出来ないなんて奴はまともな人間ではないから殺してもいいという考えに繋がり易い。
一方、キリスト教は性悪説と言われている。しかし、キリスト教の歴史を振り返る時に、必ずしもそうではなかったことがわかる。カトリックには「カテキズム」という いわゆるルールブックがある。日常生活での実践を求められる。これはカトリックに限ったことではない、プロテスタントでもある特定の考えを強調する傾向がある。例えば、布教活動、献金などを義務的に考えてしまう場合がある。
イスラム教であるとかキリスト教であるとかよりも、性悪説なのか性善説なのかの違いのほうが重要ではないだろうか。性善説は危険なのである。
でもこんなこと言うと、決まりがなければ社会は成り立たないではないかとつっこまれる。確かにルールによってかろうじて社会は保たれている。ルールはお互い幸せに生きるためにあるものだが、ルールを完璧に守ることが出来る人がいるであろうか?このことからも人間は性悪だと思うのだが。どう思うわれるだろうか?
引用:GOSPEL PRIME
https://noticias.gospelprime.com.br/russia-invasao-siria-terceira-guerra-mundial/