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 池上彰さんは、ほんと分かりやすい!!大好きです。。分かりやすいってことは論理的だと言うことですね。。

でも聖書は実に非論理的で、はちゃめちゃ。だからイエスキリストを信じたクリスチャンだけが、聖霊によってしか理解できないもの。でも、イスラム教は実に分かり易く論理的である。


これについては、昨日の投稿コーランは翻訳すら禁止されているのに聖書の訳の違いって何でいいの? に書かせて頂きました。

あらためて日本ムスリム協会のコーランについての説明を引用致します。

現在のクルーアン(コーラン)は第三カリフ・ウスマーンが651年に結集したものを正本としています。イスラーム教の正典はアラビア語の原書が正本とされ、他の言語に翻訳されたものは正本とはみなさず、意味の解釈としています。



これって、実に正論だと思うんです。。同じ意味の言葉でも文化の違いなどによって、言語によってはニュアンスが変わってくるので、同じ意味合いで翻訳することは不可能に近いからです。だから翻訳本はあくまで意味の解釈。その通りですよ。。

かたや聖書はというと、翻訳は勿論しかも同じ言語の中に様々な違った訳があって、それぞれ教典として認められているんです。いや、これはないっしょ。。いい加減すぎますよ。フェイクと言われても仕方がない。。そして聖書はいいます。

クリスチャンでない人は聖霊様が教えて下さる神さまの思いを理解する事も、受け入れることも出来ません。(テモテへの手紙第一2章24節)

こんな自分勝手なことまでいう。。ふざけてるんです。なぜ聖書がこんなふざけたことを言うかというと、

人間がふざけた奴らだから。。人間が罪びとで自己中心だから。。人間にはほとほとあきれている。。だから全て助けてやるよ。。聖書だってことこまかに教えてやるよ。。

と言うことなんです。。聖書がいう神さまは今もクリスチャンに介入されるということです。生きているということです。これめちゃくちゃ重要なところです。だから聖書の訳で多少の違いがあっても神さま(聖霊)がフォローするからいいよ。と言うことなんです。。

この考えで言うと、コーランについて翻訳が認めれていないということは、

人間が持っている知性で頑張って理解しなさい。

ということになりませんか?翻訳なんかすると意味が変わってくるから、人間はどうしても本来の意味を間違って解釈してしまいますよね。。キリスト教ではその間違いを神さまが修正してくれるけど、イスラム教のアラーは修正してくれない。。だから人間がめちゃくちゃ努力してアラビア語を勉強しなければならなくなるんです。


イスラム教では人間の努力が重んじられる。だから厳しい戒律があるんです。。中東でアラーの名の下に戦っていますが、様々な困難も人間の努力で乗り越えなけらならない。。だから必死で戦争までして変えようとする訳です。

哲学用語で「性善説」「性悪説」と言う言葉があります。性善説とは、ざっくりいうと、人間は本来素晴らしく、何でもする事が出来る。という考え方。。性悪説は、人間はどうしようもない。根っからの自己中心でやることなすこと実に悪い。。こんな感じ。。

どうですかイスラム教は性善説的なんですね。。でもキリスト教は性悪説。

じゃあ、キリスト教徒は神さまが代わりに助けてくれるんだから、戦争なんてしなくてもいいじゃん?と言う方がおられると思うんです。。私もそう思います。。クリスチャンだったら敢えて自分から復讐しなくてもいいと思うんですけどね。。でも昨日の投稿にも書いたけど、クリスチャンは神様ではないから、時には間違ってしまう。そして、クリスチャンの中でもいろいろ違った考えを持つことも認められているから、戦争も場合によってはいいんじゃないか?みたいなクリスチャンも出てくる訳なんですね。。

 多分こういうことは池上さんには理解出来ないと思うんです。特に非論理的なキリスト教については説明出来ないのではないかなと思います。。

 だからイスラム教も、アラビア語に精通しておられる方に聞かないと分からないはずです。

画像著作者:j0sh