生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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2021年06月


20世紀最大の悪人とも言われるヒトラー






ヒトラーについては絶対悪とする見方もある
これについては私がとやかく言うべきものではない。


ひとつ言えることは、ヒトラーによるユダヤ人大虐殺によって、
ユダヤ人は世界から同情を買い、悲願であったイスラエル建国が実現した。



イスラエル建国には様々な要因があり、これがすべてではない。
しかし、ひとつの要因足りえたはずだ。



私の母はクリスチャンであった。
小学生当時の私は、キリスト教には無関心であった。
無関心だけではなく嫌悪感すらあった。


学校では、キリスト教会に通っていると言えば、
「アーメン、そうめん、ひやそうめん」とひやかされる始末。
日曜日午前中には好きだったアニメ番組もあったが、
教会学校によって見ることも出来なかった。
私が小学生だった1980年前後はまだまだビデオは普及
していなかったと思う。ましてや経済的余裕のなかった
家庭だったため、ビデオなんて発想は微塵もなかった。






そんなある日、教会を訝る私にふと母は言った。




「聖書ではいろいろな預言がされていて、それが実現してきたんだよ。
例えば、イスラエルという国は消滅していたんだけど、
再び建国されるとも預言されていた。そして確かに
建国されたよ。」



この一言によって私は生まれて初めてキリスト教に興味を持った。。


しかし、キリストを信じるということが良くわからないまま、
月日は過ぎ去り、その後、様々な挫折などを通して、キリストを受け入れるに至った。




利息や高利によって財産を増やす者は、貧しい者たちに恵む者のためにそれを蓄える(箴言28章8節)


私は、この御言葉をこう理解している。


欲望に満ちた利己的な人間の活動すら、回りまわってクリスチャンのために備えられている。


「クリスチャンのため」とは、なんと失礼なとお考えの方もおられると思う。
貧しい者たちに恵む者=クリスチャンなのだろうか??


旧約聖書箴言の文脈から見れば、こう言えると思う。




世の中、とても理解できないことだらけ。でも有名な
ローマ人への手紙8章28節には、


神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって
召された人たちのためには、すべてのことが働いて益と
なることを、私たちは知っています。


毎日毎日、決して思う通りには行かない。
しかし、例外なくすべてを益としてくださるなら、神に感謝せずにはおれない。






ヒトラーの行為でさえ私にとって益となった。


世の中のありとあらゆる出来事の善悪をむやみに判断してはいけないと思う。


善悪の判断こそ罪なのだから。














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キリストは、神であり、人であるというのが、
伝統的なキリスト理解



100%神であり100%人間である。。



この時点で科学の理解を超越してしまう。


私自身、これがどういうことなのか理解できていない。


ただ、

キリストは神でありながらその神の全知全能性を制限されていたと思う。




マタイの福音書22章で、キリストを疎ましいと思っていたパリサイ人たちから、
税金を納めることは律法にかなっているかどうかを質問された。
そしてキリストは、彼らの悪意を見抜かれた。とある。




なぜキリストは見抜くことができたのであろうか?




それは、キリストは神だからだと思っていた。全知全能なるお方であれば、
何でもできるし、何でもわかる。


でも何か解せない思いに駆られる。




人間の姿をとって人間と同じ三次元の世界、時間の制約を受ける世界で
人間と同じように生活をしておられた。人間と同じになることによって
人間の弱さすら自らの中に受け入れられ人間と同じように感じ、苦しみ
そして悩まれたはずなのだ。


だからこそ、パリサイ人には、キリストは人間としか思えなかった。
そのキリストが時々偉そうなことを言ったり、凄いことをするので、
キリストを疎ましいと思ったのだと思う。キリストは人間だったのだ。
神のような全知全能性を制限されていた。だからイエスをキリスト、
すなわち「救い主」として認識できなかったのだと思う。


なぜ、キリストは悪意を見抜くことができたのあろうか?
私は教えを乞うために祈った。


キリストは全知全能性を制限しておられ、人間と同じ感覚で生活を
しておられた。


ただ、人間とは明らかに違う点が一つある。それは処女から生まれた
ということだ。





だから、罪の性質を先祖から受け継いでおられない。
罪のない人間なのだ。



だから、全知全能なる神と自由に交流することができた。
祈ることができた。神がキリストと共におられたのだ。


だから、神がキリストに働かれ、キリストに悟りを、洞察を
与えられたのだと思わされた。



神に罪を認められないことは如何に素晴らしいことか。






そして、神は、





このイエスをキリスト、すなわち、救い主として受け入れ
信じる者に罪を認めない。




そしてイエスと同じように、


神と共に歩むことが許されている。



だから、イエスを信じるクリスチャンにも知恵が与えられる。










 
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G7がイギリスで行われています。

https://www.sponichi.co.jp/society/news/2021/06/13/kiji/20210613s00042000135000c.html


 菅総理はちょっと孤立してるようですね。

なんか、昭和時代の総理大臣を彷彿とさせます。


日本以外は全部欧米、、なんやかんや言って英語できちゃうんでしょね。




だから、菅総理が孤立するのは当たり前です。




奥様としか、しゃべられない。



菅総理は普段、朝から晩まで外で会食されるらしいですね。
これを聞いて、殆ど奥様とは会話がないんじゃないかと思いました。


折角の機会ですから、夫婦水入らずのお時間を過ごして頂きたいと思います。
夫婦は人間関係の基本だと思います。 最高のパートナーでありブレーンです。



神様は全知全能なお方です。


すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。ローマ人への手紙11章36節


全世界の水滴一つまで💧、管理しておられます。
世の中の事象を緻密に駆使して、人にとって最善な状況を作りだすこともお出来になります。


政治とは権力闘争だと言われます。権謀術数を駆使したサバイバルの果てに
総理の椅子を獲得し、G7に出席、そこで夫婦の安らぎを体験する。。


ちょっとロマンチックですね。


一国の宰相が、夫婦の時間をしっかり持つのは、その国にとって決してマイナスではありません。









 
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コロナ禍によって、




キリスト教会でも、リモートでの礼拝を執り行う
機会が増えました。







リモート礼拝よりもやはりリアルな礼拝の方が良い
という意見を良く聞きます。例えば、個人的には、、



ライブ感がないですかね。礼拝では皆で賛美をします。
賛美とは、神様に向かって感謝の思いを込めて歌うことですが、
リモートだとともに賛美している実感が湧きません。



でも、リモートにも良いところを感じています。 
パーソナルなことです。


「あの方は私がしたことをすべて話した」ヨハネ4章39節






これは、サマリア人が多く住む町の女性の証言です。




これがきっかけでこの町でキリストを信じる人たちが
たくさん起こされました。 


神様は全てをお見通しです。なんせ、全知全能なのですから。 
だから、神様の前で取り繕っても無意味です。何も隠せません。



神様の前では、気を遣う必要はありません。



それが体現できるのがリモート礼拝なんです。



私は、リモート礼拝にはパジャマで参加しています。



人目を一切気にせず自由な気持ちで礼拝に参加できるのです。




キリストは人格者しか受け入れないようなお方ではありません。
どちらかというとダメダメ人間を先に受け入れてくださいます。



パジャマで参加する時、その恵みを実感できるのです。

 
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私が信じる神は、


何でもお出来になるお方です。


時間を超えて未来にも過去にも自由に行ったり来たりできる。
空間を超えて一瞬で日本からアメリカにだっていける
もちろん病気だって治せる。
人を生き返らせることもできる。

私のことも私よりも良く知っている。 
だから、私がどのように生きれば最高の人生を送ることができるかも
熟知しておられる。それだけではない。

主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。(詩篇138篇8節)

主は、私を熟知してられるだけではなく、最高の人生を私のために
実現してくださるお方。実際に。


自分にも願いがある。

神様にも私の人生への計画がある。





私を熟知しておられる方の計画の方が、
私の願いや夢よりも遥かに素晴らしいのは
一目瞭然だ。

夢の実現こそが幸せな人生なのだろうか?
自分の夢の実現を目指すより、
神様に自分の一切をお任せしたほうが、
遥かに遥かにエキサイティングなのではないか?



夢って何だろう。
自分の狭い狭い了見にすぎないのかも知れない。


それよりも、まずは全てを神様に任せて、神様に
私の人生をデザインしてもらった方が遥かに素晴らしい!


神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行わせてくださるのです。ピリピ2章13〜14節

神は自分の夢以上の素晴らしい夢、こころざしを与えてくださる。
さらに実現までしてくださる。


自分は何もしなくて良い。


自分は何もしなくて良い。



こんな人生を今日も送る。
 
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