生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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2021年05月

父親殺害容疑の医師とその母親が、

父親について「周囲を不幸にする」という内容のメールのやりとり
をしていたと報じられている。



誰でも人から嫌がらせを受けたり、何らかの被害を被れば、
嫌なものだ。時には憎しみの感情が芽生えるのも当然だ。
憎むなと言っても無理な話だ。


旧約聖書箴言28章8節に面白いことが書いてある。

利息と高利とによってその富をます者は、貧しい者を恵む者のために、それをたくわえる。



世の中は理不尽だ。格差社会と言われて久しい。
人は生まれる家を選べない。性別も選べない。時代も選べない。
先進国に生まれる人もいれば、途上国に生まれる人もいる。
生まれた段階で既に、経済的に不利な状況に陥る人もいる。



新約聖書第一コリント3章にはもっと面白いことが書いてある。


世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。 

 あなたがたとは、キリストを救い主と信じるクリスチャンのこと。
にわかには信じがたいことではないだろうか。

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

 これは新約聖書ローマ人への手紙の一節だ。全世界はすべてクリスチャンのものであって、しかも、全てのことが益となる。


たとえ、被害を被っても、嫌なことがあろうとも、すべてクリスチャンにとっては
意味があって、無駄ではない。無駄ではないどころか益になる。と言っている。

ローマ人への手紙には、

愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。


とも書かれている。憎しみの対象への復讐を自分勝手にしてしまうのは勿体ない。
将棋であれば、自分の持ち駒を捨ててしまうようなものだ。


神は、利息と高利とによって富を増す者の富も、貧しい者を恵む者のために備えてくださるように、
自分の敵をも益として、自分のために用いてくださるのだ。



 
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報道されている情報から推察すると、



雑木林に囲まれ、近くに
民家のない家を選び、自分の住む場所ではなく、県境を
跨いだところで犯行を実行しているところから、犯行を完遂
させるための計画性が感じられる。



そして、被害者とは何ら面識もないらしい。
あたかも「殺人」という実験を淡々と行ったかのようだ。


彼に「心」が感じられない。
「人を殺したらどうなるのだろうか」という好奇心の赴くままに
突き進んでしまったように思える。



彼のことを思い巡らせば巡らすほど、迷宮の中で身動きがとれない
感覚に襲われる。


自分のことなどもはやどうでもよく、未来にも希望が持てず、自暴自棄
になっているということでもなさそうな気がする。逮捕時の表情から、さほど
罪意識もなく、「自分のやりたいことをやって何が悪い」と思っているようにも
見受けられた。


「自分のやりたいことをやって何が悪い」と言われれば、「であれば人に迷惑
をかけない範囲でやりなさい」と答えるだろう。彼自身も恐らく聞いて来たのでは
ないか。それでも、彼の衝動は抑えられなかった。一回きりの人生、本当にやりたい
ことができないことには耐えられなかったのかもしれない。



人は、善悪ではなく、好き嫌いで生きる生物なのではないか。


アダムとイブは、エデンの園で好きなものを食べ自由に生活していた。
しかし、蛇に唆され、神から食べるなと言われていた善悪の知識の木の実を食べた。
善悪という本来神の領域である概念を知るようになった彼らは、エデンの園から
追放され、アダムは自分の力で苦労して食糧を得なければならなくなった。イブは産みの苦しみ
を持って子孫を産まなければならなくなった。


岡庭由征容疑者。こんな惨たらしいことをするなんて
人間の所業ではない。と考える方も多数いらっしゃるであろう。
でも、私は、彼は実に人間らしかったと思う。


しかし、



人間は、アダムとイブ以降、善悪の世界を生きること余儀なくされたのだ。
神でないにもかかわらず。善悪の世界は人間にとっては耐えられない世界なのだ。
善悪の世界であたかも神のようになってしまった人間には、
自分の好き勝手に生きることは許されなくなったのだ。
だから、報道が事実なのであれば、岡庭容疑者、あなたは裁かれなければならない。


最後に、岡庭容疑者。


唯一、人間が好きなように生きる道を教えたいと思う。

自分自身で勝手に善悪を判断している自分を認め、本来
善悪を判断するべき神に赦しを乞うこと。

イエス・キリストは勝手に善悪を判断している人間一人一人の身代わり
となって死んでくださった。そして甦ってくださり、私たち一人一人
と今も共に生きてくださっておられ、私たち人間が本来あるべき本当の人間
の姿へと日々作り変えてくださっておられることを知って欲しい。




まだ私もキリストによって作り変えてもらっている最中だからまだまだだけれど、
少しづつ好きなことをやって生きていけるようになって来たと思う。






 
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