生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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2019年09月

ansiedade

李禹煥(リー・ウーファン)に感銘を受け
俄然、現代アートに興味を持ち始めています。


せっかくなら、もともと興味のある
政治と芸術の関係について調べたいと思い、
せっかくならポルトガル語サイトから
学ぼうかなと思います。

もしかしたら日本にはない視点が
あるかもしれませんし。 


西洋社会では、芸術家は貴族や教会から
経済的支援を受け活動していました。。


んっ?

教会??


政治と芸術の関係を調べてるつもりなのに、
突然教会???


さらに読み進めると、教会とはカトリック教会
のことのようですね。

カトリック教会は、宗教改革などの影響による
衰退から、芸術を使って再構築を図ろうとしていた
とのことです。


でも面白いのは、政治と芸術とポルトガル語でググって
出てきたサイトに、いきなり教会が出てくるんです。


西洋社会では、特にカトリック教会は政治団体的に
捉えてるってことですよね。。


なるほど、、

欧米のニュースサイトを見るとよくカトリック教会の
ニュースが掲載されるのは、こういうことなんですね。

アメリカとかフランスとかと同じような国家、もしくは
政治結社としての色合いが濃いんですね。だから今でも
影響力があるんですね。


なんか俄然カトリック教会に興味が出てきましたね。。
でも聖書を読んでると、神の御国という表現がたくさん
出てきます。カトリックに限らず、キリスト教は国家的
要素があるってことです。


国家というのは絶対的な存在です。普遍的な存在です。
誰しもがどこかしかの国家に属しています。だから、
キリスト教は、国家からたびたび迫害されるんですね。


絶対的なものは二つは必要ないから、排除しようということです。。


はやくも面白い視点がみつかりました!

参照:芸術と政治  http://blog.cienciasecognicao.org/?p=738


 
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イギリスのカリスマ投資家、ジェレミー・グランドハムさんは、


「 彼ら(アメリカ人)は2018年クリーンテクノロジーに対して
65億ドルの投資をしたが、これはIT系スタートアップへの
投資額のわずか15%に過ぎない」
と驚きを持って語っています。


一方、アメリカ人投資家達は、彼のことを裏切り者とみなしているほど、
彼への評価はアメリカとヨーロッパでは180度違うようです。


ジェレミーさんは自身の資産の98%を
低炭素への取り組みに捧げることを決めています。



アメリカとヨーロッパでは環境問題に対する考え方が
大きく違うようです。アメリカはヨーロッパの高福祉志向に対して、
伝統的に社会福祉に国家が介入することに忌避反応を示します。


この価値観の違いは一体どこからくるのだろうと考えると、
やはり宗教的バックボーンの違いに行き着くのではないかと
思うんですね。


4年前に投稿しました、現代ヨーロッパの宗教人口割合を調べてみた
をご覧いただければわかるのですが、ヨーロッパは理性中心主義です。
一方、アメリカは、(福音的)キリスト教中心主義がまだまだ残っています。
詳しくはこちらをご覧ください。


日本人にとってはヨーロッパの価値観は理解できると思います。
が、アメリカはなかなかわからないのではないでしょうか?



アメリカでは高福祉社会は社会主義的であると考えられています。
そして、社会主義とは共産主義に近いイデオロギーと見做されています。
共産主義の特徴はまさに理性中心主義、
つまり、無神論的な考え方になります。無神論的どころか、
はっきりと宗教はアヘンであるとして、神を否定するイデオロギーです。


ここが問題なのです。


そもそも、人間の生活を支えるのは、人間自身ではなく、
神だと真面目に信じているのがキリスト教、とりわけ福音派と言われる
キリスト教の考え方になります。この科学が発達した現代で
まだそんな風に考えているのかと愕然とするかもしれませんね。


こんなキリスト教について論ずるのはこの投稿の主旨に反しますので、
またの機会に書きたいと思いますし、「キリスト教的な見方」
というのはちょっと偉そうなんですが、当ブログでちょこちょこ
投稿しておりますのでよろしければご覧ください。


キリスト教の是非はともかくとして、
現実的にキリスト教は現代にも大きな影響力があるのは
認めざるおえないのではないでしょうか?


アメリカでも、福音的キリスト教はゆっくり衰退しているのも事実ですが、
まだまだ生活にその価値観は根付いているのも事実です。



だから、というわけで、社会福祉政策など不要である。というわけです。。
環境問題も、人間の生活を守るための問題意識ですから、
やはりアメリカ人にとって、胡散臭いんですよね。。


参照:ラジオ・フランス・インターナショナル
http://br.rfi.fr/economia/20190823-bilionario-legendario-de-wall-street-investe-toda-sua-fortuna-em-tecnologias-limpa


 
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ブラジルをはじめとする、ラテンアメリカ諸国と
アメリカとの関係を勉強したいと思います。


環境問題が声高に叫ばれる今日、ブラジルを始めとする
アマゾン保有国は、国際的にも注目され、そして、
国際的影響力も高まってきます。


そして、依然として世界ナンバーワンの経済力を誇り
最も影響力のあるアメリカとの関係は重要だと
考えるからです。


19世紀のアメリカはモンロー主義に基づいて、外国に
干渉せず独自の道を歩んでいたイメージがありませんか?


しかし、ラテン・アメリカに対してはどうも違ったようです。
 1889〜90年にかけて、ワシントンでアメリカ国際会議が開催
されました。ここでは、 通関や支払い手続きの統一、知的財産権制度の確立そして
インフラ投資の実現などアメリカ主導で会議は行われました。

これは現在の米州機構に繋がりました。

今のTPPのはしりのようなものですね。このようなFTAというのは
経済大国に有利になります。 

案の定、米州機構は「アメリカの中南米支配の道具」と揶揄されました。 


さて次回から米州機構について掘り下げていきたいと思います。


参照:Revista Brasileira de política internacional 

http://www.scielo.br/scielo.php?script=sci_serial&pid=0034-7329&lng=en&nrm=iso



 
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努力が重んじられる国日本。
努力によって人生は大きく変わる
はずです。
わたしもそう思っていました。


しかし黙示録13章には、驚くべきことが書いてあります。
「 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、
世の初めからその名を書きしるされていない者はみな、
彼を拝むようになる。」
 

この世界の初めから、すでに救われる人、
救われない人が誰であるか知っている。と言うのです。
 

そしてなんと、ローマ人への手紙9章18節には
「 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、
またみおこころのままにかたくなにされるのです。」
 

救われる人、救われない人は
神様が決めておられるともとれなくもないのですが、、、

第1テモテ2章4節では

 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。


とありますから、一人でも多くの人を救うために、
時には人を頑なにさせる場合もあると考えます。

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聖書の神は全知全能ですから、
一瞬にすべての人を救うこともおできになります。
しかし、おそらく神は、人間一人ひとりの個性を大切にし、
そして一人ひとりの人間としての自尊心を非常に
大切に考えておられるから、あえてこのような実に時間のかかる、
効率の悪い方法で人間を救おうとお考えなのだと推察致します。


愛とは、実に不便で非効率です。


そして決定的なことがローマ人への手紙11章36節ではこうなってます。

「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、
神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。
アーメン。」


この世界の森羅万象、人間の営みすべては神の管理下にあり、
すべての結果は神によって決まると言っていると思います。


聖書の神はすべてを造られました。大自然も人間も、すべてです。
ですから、神は大自然そして一人ひとりの人間の個性まですべてご存知です。


その上で、一人でも多くの人間を救うために、
すべてのことを実に繊細にそして情熱を持って行なっておられます。
 一人ひとりの個性に応じ、時には頑なにさせたり、試練に合わせたり、
ある人を先に救ったり、ある人は後で救ったり、
そして残念ながら救われない方もおられるということでしょう。


繰り返しますが、神はすべての人を救うこともお出来になります。
ですが、一人ひとりの意志を尊重なさるのではないでしょうか。
神はそれほどまでに人格を尊重されるが故に、一人ひとりを大切に扱われます。


これぞ神の愛ではないでしょうか。

 
「すべての結果は神によって決まる」
ということは、努力はどうなるのでしょうか?
結果を出すための努力なのではないでしょうか?

 
努力は、結果が出た時の達成感を味あわせるため、
そして、自分の思うような結果が出なかった時には
自分の思いよりももっと素晴らしい結果が用意されていることを
気付かせるための努力なのだと思います。


結果は自分で決めるものではありません。
神が決めることです。ですからプレッシャーに悩ませることはありません。


結果は自己責任ではありません。 


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時は第二次大戦へと進みます。

カルースト・グルベンキアンは拠点を

パリからポルトガル・リスボンに移しました。。

ポルトガルに移ったのは1942年です。



はっきりとした理由はわかりません。

が、予想される戦禍の拡大からの回避、

そしてアートコレクションの保全であったのでありましょう。

1942年の段階で対応したのはさすが実業家としての

情報力と先見性からなのでしょうか。


カルーストの変化と謀ったかのように、

時代も変わりました。世界的な権力の再分配が

起こりました。


しかし、カルーストのコレクションの価値は

変わりませんでした。後にリスボンに彼の

コレクションを中心にした、その名もカルースト

・グルベンキアン博物館が誕生しました。


アートの価値は変わりません。人の心を変える

芸術はどの時代にも人に影響します。


価値が変わらないのであれば、それは究極の資産です。 

政治家達は、そんな普遍性に惹かれ、自身の権威を

アートによって高めようとしたのでしょうか。

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