ぺかどおる(もと簡潔!ラテン新聞)

地球の裏側にあるブラジルから見た世界は一体どうなのか。ブラジルニュースサイトGOSPEL PRIMEの協力により翻訳記事を提供出来ることになったことがキッカケでブログ始めました。 私はポルトガル語を勉強するクリスチャンですので、ブラジルとキリスト教を通して国際政治、経済、社会を見ていきます。そして合わせて展開するポルトガル語サイトを通してわかった海外アフィリエイトのやり方もお知らせしていきます。

2017年10月

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キリスト教史を学んでいて、


最近ふと思ったことがあります。



ローマ・カトリック教会と中国共産党って、似たような体質なのではないか??



ローマ・カトリックと言えば、、ローマ教皇ですね。


ローマ教皇は、コンクラーヴェという教皇選挙で選ばれます。選挙ではあるものの、

選挙権は120名の80歳未満の枢機卿にしかありません。そして枢機卿は、教皇が自由に任命できることになっています。


かたや中国共産党。。


共産党トップである総書記は一体どうやって決まるのか?


一般の中国国民には選挙すらありませんから、決定に関与する余地はありません。



ローマ・カトリック、中国共産党いずれにせよ、ごく一部の人によって権力が掌握されているわけです。。



組織の肝といえる、意思決定プロセスが似通っているということは、同じような体質であると考えられなくもありません。

ところで、今日10月31日はキリスト教、いや、世界史に於いて極めて重要な出来事が起こってから500年の記念すべき日です。


マルチン・ルターがウィッテンベルグ城に「95か条の掲題」を掲げ、カトリック体制の批判を公にしたのが1517年10月31日でした。


これを契機にヨーロッパは激動の時代を迎えました。各地で戦争も勃発しました。


30年戦争と呼ばれる壮絶な戦いによって、カトリック、プロテスタント双方が疲弊し、ようやく1648年のウエストファリア条約によって終結しましたが、、


プロテスタントの一翼を担う「カルバン派」が公認され、神聖ローマ帝国からのスイスやオランダの独立が承認されました。


その後もカトリックの衰退は続きました。19世紀にはとうとうカトリックの本家本元であるイタリア統一運動によって、カトリックの俗領は奪われました。教皇は、絶対的で間違えることはないという教皇無謬説を制定し、絶対主義を主張したものの、自由化への流れを止めることは出来ませんでした。



先日、中国共産党大会が開かれ、毛沢東依頼と言われる習近平主席の権威づけが図られたと言われています。


これって、カトリックの教皇の絶対化の背後にあったものと同じなのではないでしょうか?

意図的な権威づけの背後にあるのは、中国国内の不安定化が極めて深刻であるのではないかな?


と思ってしまいます。


中国の経済状況は決してよくありません。貧富の差は開く一方であると言われています。



世間を騒がしている中国の一帯一路構想は、経済政策の一環です。新しいマーケットを開拓しないと経済が持たない。。


国民の目を政治から経済に向けるための企てなのではないでしょうか?



そして、上海を始めとする主要4都市トップには、習氏側近が就任するというニュースも流れました。



宗教改革は、16世紀当時はまさに辺境地であったドイツから始まりました。そしてその後のヨーロッパは、オランダ、イギリスといったローマから見れば片田舎であるような国々が主導権を握っていきました。



今回の人事を見て、中国でも、中央の目が届きにくい地方の流動化をなんとしても食い止めたいという思惑を垣間見る思いがします。


実際、宗教は阿片であるとする共産党が認めたくない「宗教化」は日増しに進んでいます。



中国の分裂は決して絵空事ではないと思います。。内戦を経ての地方の独立です。。


国際社会での中国のプレゼンスは日に日に増大しているかのようですが、



決して中国は安泰ではないのではないかというのが私の見立てです。。


まあ、ツッコミどころ満載だと思いますが、面白そうなので、これからもカトリックと中国共産党を比較してみたいと思います。。










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お久しぶりです。

ポルトガル語に限らず、英語でもですが、、冠詞って難しいですね。。

ポルトガル語での冠詞の使い方では、こちらのサイトが詳しいです。でもこちらのサイトにも載っていなかった定冠詞の使い方の疑問について調べましたので書いておきます。


例えば、、


9時20分前です。。をポルトガル語では、

São vinte para as nove(horas).

と言うのですが、、nove(9)の前に定冠詞の"as"が付きます。なんかなくてもいいような気がしませんか??


そこで、、

まずこちらの文を考えてみたいと思います!!



Nós trabalhamos de oito a vinte horas.


これなんですが、、


私たちは、12時間(8時から20時まで)働きます。

という意味になるらしいんです。働く時間は何時間なのか?を表すそうなんです。


私たちは、8時から20時まで働きます。。

という、始業時間と終業時間を伝えたい場合をポルトガル語にする場合は、、


Nós trabalhamos das(de+as) oito às(a+as) vinte horas.

とするらしいんですね。。asという定冠詞が必要になるということです。



定冠詞というのは、既に聞き手が分かっている事柄や、特定しなければならない時に使用しますが、




「始業時間」とか「終業時間」という特定された時間を表すために必要だということですね。。




なので、São vinte para  nove(horas).だと、、

全く意味不明になってしまう。。ということになります。。9時20分前の9時という特定された時間を表すためには、、「as」定冠詞が必要だということです。。


だから、


São vinte para as nove(horas).


なんですね。。


わかりましたでしょうか??  拙い説明でごめんなさいね。。  



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