ぺかどおる

「あなたが右に行くにも、あなたの耳はうしろから、『これか道だ。これに歩め』ということばを聞く。」(イザヤ書30章21節) 「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイの福音書6章33節) 私は海洋散骨事業、そして通訳ガイドを営んでおります。毎日の生活はサラリーマンのように保証されておりません。しかし私は聖書を信じています。私の人生は上の御言葉の通り、神様がきめ細かく導かれ、必要なものも備えて頂き、充実した幸せな人生であることを確信しています。このブログではそんな私の歩みも綴らせて頂きたいと思います。宜しくお願い致します。

2016年12月

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日本では大きな問題となっている長時間労働。


しかし、

ブラジルでは長時間労働についての実態調査すら存在していないようだ。



ブラジルの大手新聞社フォーリャ・デ・サンパウロがこの程伝えたところによると、


「ブラジル人の90%が、経済的成功は神様のおかげである」と信じているという調査結果を明らかにした。



ブラジルは圧倒的にクリスチャンの多い国である。最近では従来のカトリックだけではなく、エヴァンジェリカルと言われているプロテスタント保守派は人口の約30%に達していると言われている。



神さまのおかげである。

宗教への無関心の割合が高いここ日本で、こんなことを伝えてもあまり意味はないかもしれない。


別に、神を正当化しようという意図もない。



しかし、「神さまのおかげ」と言えることは、少なくとも幸せなことではないだろうか?



日常生活に神様の存在をリアルに感じることによって、生活に余裕が生まれるのではないか?



神さまのおかげ。すなわち、結果は神様が決めることだと思えることは、実に幸せなことだと思う。



神さまがいないと、結果責任は当然人間になる。



この責任に追い立てられることになる。



これが長時間労働に繋がるのではないだろうか?



問題は長時間労働に留まらない。



労働の目的も、ダイレクトに収入の確保のためになってくる。




しかし、神を実感していれば、収入は神が与えてくださるのだから、


労働の目的は、純粋に楽しさとか、面白さ、そして社会への貢献に代わっていくことは想像できないだろうか?



聖書にはこんな言葉がある。

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。

しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
(マタイ6章31~33節)




神さまのために行うもの。それがブラジルをはじめ多くの国で20億人以上存在するクリスチャンのライフスタイルである。


引用:GOSPEL PRIME
https://noticias.gospelprime.com.br/brasileiros-sucesso-financeiro-deus/

 


われわれ人間はAIに対して如何に差別化していくか?が今問われています。

聖書にこんな言葉があります。

たとい私に、異言(今まで知らなかったことば)で話す才能があり、

また、天と地のあらゆることばを話すことができても、

人を愛していなければ、ただの騒音にすぎません。 

同様に、預言をする才能があり、将来の出来事を予知し、

あらゆることに通じていても、人を愛さないなら、何の役に立つでしょう。 


また、山を動かすほどの強い信仰を持っていても、


愛がないなら、私には何の値打もないのです。 
Ⅰ コリント13:1~2


能力的な価値はAIに取って変わるのは時間の問題でしょう。


そこで、人間に求められるものは、


ずばり、人間性


なのではないでしょうか。愛による差別化の時代に突入するのではないでしょうか?


人間への関心、そして宗教への関心が益々高まっていくでしょう。



しかし、


人間性を高めるのは、学力を高めるよりも


はるかに難しい。

一体どうすればいいでしょうか?


聖書は言います。


義人は一人もいない。


愛のある人なんていない。ということです。


だから、


愛する皆さん。 そういうわけですから、あなたがたにお願いします。 

自分の体を神様にささげてください。 

それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。 


神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。 


世間の人々の生活態度や習慣をまねてはいけません。 

むしろ、すること考えることすべての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。 


そうすれば、神の道がどんなに自分を満足させてくれるか、わかるようになります。
ローマ人へ 12:1~2


自分の体を神様にささげてください。


とは、人間には本当に意味のあることは出来ないのだから、

神様に任せなさいということです。


そして、

むしろ、すること考えることすべての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。 


とは、自分で努力するのを辞めなさい。

ということです。


神様に任せたのだから、自分で頑張る必要がなくなるからです。


聖書には、

あなたの道を主に委ねよ。主が成し遂げて下さる。


神様に人生を任せるとき、神様があなたを通して結果を出して下さる。あなたを愛のある人につくりかえ、結果までプレゼントしてくださる。

んですね。



楽勝過ぎますね😃

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フェイスブックを何気なく見ていて、現代ビジネスのこちらの記事が目に留まった。


まったくモテない男が「自己啓発本」を読んでたどり着いた結末


この文章を読んで、「男性問題」という言葉に出くわした。


女性問題とはよく聞いたものだが、男性問題とは、はた聞いたことがなかった。

ググって見ると、なんと男性問題に関連するページは4千700万件に上ることが分かった。



男性問題とは、どうも男性に関する女性の悩みではなく、男性自身が悩む問題のようだ。



男性問題とは、一言で言うと、「男は稼いでなんぼ」なんだけれども、これが実に難しくなってきているところから


発生してきている男の葛藤のことらしい。




多くの現代人にとっての幸せはといえば、


経済的に安定した生活を送り、老後は悠々自適な生活を送る



ことなのかもしれない。


そのためにいい大学に入り、優良企業に就職する。


しかし、これを実現出来る人は年々減少している。



ここに男性問題の根源があるようだ。



私自身、現在フリーターである。しかも40代。



まさに男性問題に直面しまくっている。



しかし、



何の不安もない。必ず道は開けていく。と確信している。



正直こんな投稿はしたくなかった。こんな自分のことをさらけ出してまで。





いま、私がおかれている状況は、自分の弱さにも一因がある。




自分は競争が大の苦手だ。小学生のころより、徒競走ではビリ、良くてもビリ2かビリ3だった。別に足が遅いわけではなかった。だが、スタートがとにかく下手くそで、その時点で不利になってしまっていた。



普段の成績は悪くはなかった。 上の下ぐらいだったと思う。



しかし、高校入試、大学入試はことごとく失敗した。



兎に角、勝負事に弱い。のである。心の弱さ。プレッシャーに弱いのだろう。



私は、幼稚園のころより、キリスト教会に通っていた。母親がクリスチャンだったからである。



小学生になると、父親もなぜか、クリスチャンになり 益々教会に入り浸るになった。


教会には優しいお兄さんやお姉さん、そしてかわいい女の子がいて楽しかった。



しかし、肝心のイエス・キリストには全く関心がなかった。


ここ日本では宗教は意味を持たない。バカにされている。



教会へ行っていることで、学校ではアーメン、ソーメン、ヒヤソーメンなんてからかわれたこともあった。



そんなこともあって、私自身、キリストを信じるなんて気違いだと感じていた。



弱さは何のためにあるのか
 

しかし、前述のとおり、成長するにつれ、自分自身の弱さに直面するようになった。



一応、中堅の情報機器関連商社に就職したものの、仕事は出来なかった。



女性にもモテなかった。



生きる気力が失われつつあった。



そんなとき、昔から聞いていたイエス・キリストに微かな望みを抱き始めた。



気づいたらキリスト教書店に足が向いていた。


そこで、平野耕一という人の


これだけは知ってもらいたい 平野耕一 プリズム社


という本に出合った。


ただ信じるだけでいいとは、何千回と聞いたフレーズだったが、


なぜか、生れてはじめて、受け入れることが出来た。



元外務省主任分析官で作家の佐藤優さんによると、

「私は優れている。今日も試合に出れば絶対にホームランだ」と思っている人のところを、啓示は迂回していきます。


キリスト教は啓示だと言われている。実は宗教ではない。


啓示とは、冒頭の図で表しているが、再度掲載する。
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啓示とは人間の外側から与えられるものであって、人間が生み出せうるものではない。

では一体、だれが生み出したのか?


神が生み出したもの。



私は、自分自身の弱さを通して、自分に絶望することが出来たことによって、啓示が私のところにようやく来てく



れたのだと理解している。



キリストが私の身代わりとなって十字架で死んでくださったことによって救われるという啓示がようやく


私のところに来てくれた。



弱さによって、救われたのである。



旧約聖書のイザヤ書48章には、

わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く


20世紀を代表するキリスト教神学者であるカール・バルトは、


恵みとは、人間が何かをすることができる、また、するべきであるということでもなければ、何もできないしすべきでないということでもない。恵みとは神が何かをすることである。


とする。



ちなみにカールバルトはナチスドイツに対抗し日本を代表する哲学者西田幾多郎にも影響を与えたと言われて



いるほど、多くを成し遂げた人物であるがゆえに、上の記述には説得力がある。



キリストの啓示を受けた者は、恵みの世界に入る。もはや自分で何か成し遂げる必要はない。する必要はない。




主が成し遂げてくださるから。自分自身の人生を通して主が成し遂げてくださるから。


弱さによって、何と素晴らしい人生へと導かれたのであろうか!!



だから私には不安がない。恐れがない。


いま、俳優の成宮寛貴さんが芸能界を引退するニュースが飛び込んできた。



心から信頼していた友人に裏切られ、複数の人達が仕掛けた罠に落ちてしまいました。


引退の理由を述べている。




このような時にどうすればいいのか?



同じような経験は誰しもがあるのではないか?



人間から生み出さされるものは不完全だ。


聖書は言う。


義人はいない。ひとりもいない。


しかし、


神に生み出されたものは完全である。


神は裏切ることはしない。だから、たとえ人に裏切られようとも、絶望する必要はない。



キリストの救いを述べさせてもらった。



しかし、だからといって受け入れろというつもりはない。


というか、受け入れろと言うのはナンセンスだ。



人を救う権利、権威は私にはないからだ。



人が救われようが、救われなからろうが、知ったことではない。



神が選ばれた人のところに、啓示は降りてくる。















 

退位問題を考える上で知っておきたい天皇とキリスト教の関係。そして天皇のご決意OGF8O50-002


天皇退位問題が大きく取り沙汰されています。



この問題を考えるにあたってどうしてキリスト教を考慮する必要があるのでしょうか?


以前投稿致しました、クリスチャンとしての「あさが来た」ヒロイン白岡あさ(広岡浅子)さん

で書かせて頂きましたが、日本のキリスト教の歴史を研究しておられるジャーナリストの守部喜雅さんの講演の中で、以下のようなエピソードが出てきました。


戦後すぐに総理大臣になった東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)は、当時のキリスト教関係者を首相官邸に集め、神道も仏教にも敵を赦すということを教えてくれない。これから日本には、国民生活の基礎にイエス・キリストが必要である。

続きはこちらからお読みください。







福音派1412


キューバのフィデル・カストロ氏が11月25日(現地時間)死去しました。



その後継者である弟のラウル・カストロ国家評議会議長は現実主義者と言われ、



アメリカへの回帰を図ろうとしています。
アメリカヤンキー帝国主義に再び接近するキューバ(ブラジルUOL)


フィデル氏を中心に進めてきた社会主義政策には賛否両論がありますが、その政策が大きな過渡期に差し掛かっていることは明らかです。



20世紀のトピックである社会主義、共産主義はソビエトの崩壊、中国での改革開放政策、そしてキューバのアメ


リカへの接近などに見るように、既に勢いを失っているのが現実でしょう。


今、世界各地で宗教がクローズアップされてきています。


中国では、イスラム教、仏教、そしてキリスト教信者が激増しています。


モンゴルでも仏教徒の増加が著しい。


中東では、キリスト教徒が実は増えてきています。



そして中南米でもキリスト教、取り分けエヴァンジェリカルと言われる福音派が急増中です。


ヨーロッパでも昨今のテロや移民流入などによる社会変化によって、キリスト教が見直されてきています。



エヴァンジェリカルズの総本山的存在であるアメリカは逆にクリスチャンは減っています。がもちろんまだまだクリスチャンの存在感は大きいものがありますが。


アメリカはエヴァンジェリカルズ(福音派)と共に国を作り上げてきました。その影響はいたるところにあります。



福音派が社会にどのような影響を与えるのかを見るのに格好のテキストは、アメリカです。


私は福音派のクリスチャンの立場に近い信仰を持っていると自覚していますので、福音派の内在的論理はよく理解しているつもりです。



ですから、このブログでは福音派という視点を大切にして世界の様々な動き、世相、をお伝えしたいと考えております。



ひとつは、、ちょっとアメリカの歴史を勉強し、ブログにアップ出来たらと考えています。




また、福音派とは一体なんなのか??日本ではキリスト教原理主義ともいわれるだけあって、ちょっと身構えてしまう方が多い気がしていますが、、



そのあたりも世界中のエヴァンジェリストたちの生の声をアップ出来ればと考えています。



まあ、どこまで出来るのか不安なのですが。。











 

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