ぺかどおる

「あなたが右に行くにも、あなたの耳はうしろから、『これか道だ。これに歩め』ということばを聞く。」(イザヤ書30章21節) 「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイの福音書6章33節) 私は海洋散骨事業、そして通訳ガイドを営んでおります。毎日の生活はサラリーマンのように保証されておりません。しかし私は聖書を信じています。私の人生は上の御言葉の通り、神様がきめ細かく導かれ、必要なものも備えて頂き、充実した幸せな人生であることを確信しています。このブログではそんな私の歩みも綴らせて頂きたいと思います。宜しくお願い致します。

2016年07月

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第2回目は、自分のケツは自分で拭かなければならないのか?という題にしました。





日本ムスリム協会さんによりますと、 


天命とは、「あらゆる宇宙万象は、アッラーの意志によるものである」というものですが、人間には善悪を選択する自由意志を与えられております。 したがって、自分の善悪の行為にたいしては、責任を負わなければなりません。



明白に自己責任をうたっています。



イスラム教での罪とは、窃盗、公道上の強盗(武装した集団や個人によって、公道上の通行を拒んだり、財産を奪ったりすること。)、姦通、冤罪、飲酒、背教になります。


これに対する罰とは、原則として「目には目を、歯には歯。」で被害者に加えた同じものを犯罪者に加えるというものです。犯罪者が悔い改めた場合は、恩赦になる場合もあるようです。


詳しくはイスラームにおける罪と罰をご覧ください。





一方、キリスト教はどうでしょうか。




キリスト教がいう罪とは、




創世記でのアダムとイブが、「善悪を知る知識の木の実を食べれば、神のようになれる」というヘビの誘いに応じたという事件から理解することが出来ます。



人間が、神のように良いこと悪いことを自分自身で判断すること。




これが罪です。




神としっかりコミュニケーションをとりながら人生を歩むのではなく、神を忘れ、自分勝手に判断し、行動していくことが罪であるとしています。


窃盗や殺人というのは、この状態の結果なのであるから、その原因である「神を忘れ、自分勝手に判断する」ことこそ問題であるということです。結果よりもプロセスを重視する感じがしますね。


だから、人間は全て罪人であるとします。



それではこれに対する罰とはなんでしょうか?





罰は、死刑です。



これは厳しいですね。人間は全員しななければならないのです。



だけれでも、イエス・キリストが十字架で身代わりとなって死んでくださったので、



もう死ななくてもよくなった。責任を負う必要がなくなった。自分のケツは自分で拭く必要がなくなった。



ということになります。


だから、そのイエス・キリストを信じてください。それだけでオッケーです。




人間にとっては都合がよすぎますよね。。




いかがですか?イスラム教のほうが常識的かもしれませんね。


























イスラム教とキリスト教は兄弟。


イスラム教とキリスト教の神は同じ。



というような話をよく聞きます。


でも、



互いの間には、多くの争いがありました。



そして、今も互いの間には深い溝があります。



クリスチャンとしてやはり、昨今とてもこのことが気になるんですね。




キリスト教とイスラム教は兄弟みたいなものなのでしょうか?



それであれば、クリスチャンであれば、そうでない方よりもイスラム教について



より理解できるのではないか??


そんなことを思って、始めてみたいと思います。




まずは、、神についてみていきたいと思います。




まず、お断りしておきますが、どちらが正しくて、どちらが間違っている的な話はするつもりはありません。



というか、それは出来ません。




それは、イスラム教もキリスト教も宗教だからです。



当ブログでは再三書いてきましたが、、宗教とは英語でreligion。これはrelationからきている言葉です。


relationですから、関係とか絆を表すことがわかります。



religionとは神と人間との関係、絆のことになります。

宗教は関係なんです。絆なんです。親子関係や夫婦関係のようなもの。。


親子関係について、これは当事者しかわかりません。第三者が客観的に分析できるような対象ではないのです。


学問とは違うわけです。だから正しいとか間違っているとかという判断が出来ない対象になります。




ところで、



日本ムスリム協会さんのサイトを見ますと、神さまについて、こんなことが書かれていました。



神の存在は、そもそも「何処に」と答えられるようなものではない。時空を超越し姿形を有さないにもかかわらず、神は人間とコミュニケーションを行う人格神である。
 


これおわかりでしょうか?



キリスト教徒の私には、何の抵抗もなく受け入れられる内容です。同じキリスト教徒でも受け入れられない方もいらっしゃるかもしれませんが、私の神理解もだいたいこんなところです。

同じ宗教でも仏教は、この時点で異なってくるのではないでしょうか?


ここまででは、イスラムもキリスト教も同じだと言えます。



それではイスラムでは、神とはどのようにコミュニケイトしていくのでしょうか?

神と人間の直接的コミュニケーションは稀にしか生じず、個々人ではなく社会全般を対象としたメッセージが神から届くような場合は特にそうである。そのような社会的メッセージを人々に伝えるために、特に神によって選ばれた者が使徒と呼ばれる。


使徒という存在が必要になると言っていますね。



この使徒が、ムハンマド(マホメット)ということになるらしいです。




そして、驚かれるかもしれませんが、イエス・キリストも使徒だとしています。


モーセやイエスもこうしたアッラーの使徒であり、両者はユダヤ民族全体に適用されるメッセージ、『律法』、『福音』を神から授かり、彼らにそれを伝えた。この『律法』、『福音』がそれぞれユダヤ教、キリスト教の基礎になった。


ここでは、イエス・キリストとは書かれていません。


なぜだかおわかりでしょうか?



キリストとは、救い主という意味で神を表す言葉だからです。キリストと書いてしまうと、イエスは神であることを認めてしまうことになります。だからイエスしか書かれていません。



イエスも使徒として、特にユダヤ人に対して遣わされた使徒という理解のようです。。



そして、ムハンマドについては、次のように書かれています。

人類の文明が一定の水準に達した時点で、様々な民族を超えて人類全体に永遠に妥当する普遍的メッセージが伝えられることになった。その最終メッセージが『クルアーン』であり、その担い手として選ばれた使徒がアブラハムの裔、アラブ民族出身のムハンマドであった。


ムハンマドはイエスとは違い、全人類へ遣わされたとされています。


だからイエスの教えではなく、ムハンマドを通して伝えられたメッセージである「コーラン」を受け入れなければならない。ということになります。



それでは、このコーランにはどのようなことが書かれているのでしょうか?



その命(めい)のみに服従し、唯神のみに崇拝を捧げ尽くすこと


そして、その命とは、、



人間は行為の自由とその責任を賦与された存在として、個人として各自が悪を退け、善を行うのみならず、社会として悪を阻み、善を勧め、善行が報いられ、悪事が罰せられ、正義が行われるよう、神の定めた法を施行する義務を負う。

となります。



キリスト教徒としては、この辺りから、違いを感じ始めます。。



イスラム教では、神は人間としてなすべきことを定め、あとはそれをやるかやらないかは人間次第、人間側の責任であることがわかります。。




ここがもう180度違ってきます。。




キリスト教では、人間はもうだめだ。いくら命じても出来っこない。。



だから、もう行動は一切求めない。。


どうしようもない人間の変わりにイエスが身代わりとなって罰を受けてくれた。


だから、人間はこのことを受け入れ、身代わりとなったイエスを救い主として信じればそれでオッケー。。



ということになりました。



でもイスラム教では、



人間は出来ると考えているふしを感じます。そうでなければこういうことは言わないでしょう。



人間の頑張り次第。自業自得の考え方ですね。



ところで、クリスチャンでない方にとって、どうでしょうか?



因果応報、自業自得的な価値観をお持ちの方が多い日本人には、イスラム教のほうが理解できるのではないでしょうか?



というわけで、



イスラム教は性善説的。。キリスト教は性悪説的なんですね。人間理解が180度違います。



今日はこの辺で。。


チャオ!!


 


治安が悪い悪いと日本のメディアは報じていますが、



まあ、半分以上は本当です。



ですから、ブラジルには行かないという人のために、せめてネットでそのすばらしさを味わっていただきたいと思っております。



ブラジルが人種のるつぼであることはご存知だと思いますが、



人口のおよそ半分は白人です。その中でも一番多いのはイタリア系であると言われています。




だからいたるところにピザ屋さんがあります。



そしてやはり最高にうまい!!



ブラジルで一番食べたいものはと聞かれれば、ピザ、ラザーニャ(ラザニア)ですね。



リオデジャネイロで有名なのは

NOSTRO RISTRANTE&CAFFE

さんです。



フェイスブックページでもフォロワーは6000人を超えます。






ここは、おいしいイタリアンを食べながらの映画上映会なんかもやってるんです。このときはチケットを見せればデザートが一品サービスになったりします。


まあ、これは日本人には関係ないかもしれませんが、


こんなこともやってます。

エビ祭り。。


前菜とこの本格的なエビで2940円ぐらいでした。。




ちなみに、日本人は今年9月18日まではビザ無しでブラジルに入国できます。アメリカ人、カナダ人、オーストラリア人、そして日本人だけの特権です。。詳しくはこちら


 

1412


リオ五輪まで1か月を切りました。



テレビは啖呵を切ったように、ブラジル現地の情報を伝え始めてますね。。




だけど、治安の悪さを盛んに鼓舞してるだけなので、少し寂しいんですね。。



いや、確かに、治安は悪いです。




そして、リオよりは少し治安が良いと言われているサンパウロに住んでいた経験から言わせていただきますけど、




怖い経験は一度もしたことはありません。




ぼくはもともとズボラなので、服装とかも汚れてても平気だったり、ほつれてても平気だったりした(過去形)んですが、決して小ぎれいな恰好はしていませんでした。



また現地で買った服もよく着ていましたから、日本の日本人だとはあまり思われませんでした。。



日系人だと思われていたと思います。。幸い、ブラジルには顔が同じな日系人の方がたくさんおられますので、


日本人だからと言って、全然目立ちません。



現地のスタイルに合わせることがポイントです。。



変に身構えると、不自然になり狙われやすくなります。。



もう、サンダルに短パン、Tシャツとか、そう、、現地ですぐ服を買うのがいいですね。。



これでだいぶ違うと思います。




余談が長くなりましたが、




こんなブラジルにも素敵な方はたくさんいらっしゃることをアピールすべく、



ブラジル人の新進気鋭の作家パトリシアさんのブログを紹介します。。




自分の夢はとても実現できないなんて思うこともありました。


そんな時父は、


自分の望むことに向かって歩むこと、

夢こそ、毎日の生活に生きがいを与え、一歩を踏む出す勇気を与えてくれる。


と私に話してくれました。





夢に向かって歩んできました。中にはすでに実現したこともあります。


ブラジルのいろんなところを訪れることが出来ました。


ロンドンにも行けました。

本を出版することもできました。



自分の好きなことを職業にすることが出来ました。


そして、まだ実現できていないことももちろんあります。




神さまは、心配する必要は何一つないことを教えてくれました。

なぜなら、時を神様のものだから。




神さまは夢を実現させてくださるお方です。



そんな神様に任せること。神さまの時、愛、助けに身をゆだねて、かみさまの身元でゆっくりくつろぎましょう。休みましょう。。

あなたの夢も、神様が与えてくださったもの。だから時間をも支配しておられる神様ご自身が、もっともふさわしい時に実現してくださいます。あなたが考えるよりももっと素晴らしいやり方で。


あなたの夢を神様に任せてみませんか?


何事にも時があります。伝道者の書3章1節


引用:DEUS É QUEM TRANSFORMA SONHOS EM REALIDADE
http://ideiasnoforno.blogspot.jp/2016/06/deus-e-quem-transforma-sonhos-em.html

写真:ideias no forno

























XomAiULsGd
 

昨日のスッキリ!!で国際ジャーナリストの手嶋龍一氏は、



もはやテロを防ぐ手立てはない



との趣旨のコメントを述べていました。 



その他テレビニュース番組でも、このようなテロがどこで起きても不思議ではないということを頭の片隅に置いておくことが大事である。と言うだけで精一杯のようです。



専門家が揃いもそろって、これしか言えないことに最近衝撃を受けています。




私自身、先週木曜日の投稿で、 へんぴなところでは起きないのでは?みたいなことを書いたことを少し反省しています。



今回も、今世界の注目の的である経済成長著しいバングラデシュの首都ダッカですから決してへんぴなところではありません。




しかし、どこで起きても仕方ないと見ておいたほうがいいでしょう。




少なくとも、この日本では、テロに明確な指針を提示できる専門家が見当たりません。と思いきや、、




中田教授がいらっしゃいましたね。中田教授が他の専門家と違うところは、自身がイスラム教徒であることです。



宗教は、英語ではRELIGIONで、絆ということばが一番しっくりきます。誰との絆なのかといえば、それはそれぞれの宗教で崇拝している神であったり、教祖であったりします。

これは、自分の親との関係だったり、配偶者との関係などといった個人的な関係みたいなものです。相手が神ですから、神と人間との間の個人的関係になります。

個人的な関係ですから、これを第三者が客観的に説明するのは不可能ではと思います。その当事者に聞かないとわからない。



宗教に関しては、専門家ではなくその当事者に聴くのが鉄則であると私は考えます。



イスラム教とキリスト教は同じ一神教の神のもとでの兄弟であると言われます。


確かに似ているところはありますが、180度違うところもあります。


似ているところもあるので、なんとなく肌感覚でわかるところもあるのですが、



彼らは、純粋なイスラム教徒であったと思います。日本の一部のコメンテーターは、彼らは本当のイスラム教徒ではないと言及していましたが、そうは思いません。


これから、時間があれば、この肌感覚を確かめるべく勉強してみたいですが、、出来るかな??




テロは今後もますます激化する可能性が大きく、ますます深刻化するでしょう。



何が深刻なのかといえば、専門家、すなわち人間の知性ではもはや太刀打ちできない問題であるということです。



宗教という実にパーソナルで主観的な事柄ですから。




特に宗教に疎すぎる大勢の日本人は、萎縮していく一方でしょう。




これからは、宗教的センスが問われるケースが増えるのは間違いありません。



この宗教センスの有無による新たな格差が生れてきます。




例えば、私事ですが、


クリスチャンですから、こんな言葉を信じています。



キリストに信頼することによって助けを受け、罪と悪との楽しみに、打ち勝つことが出来る。第1ヨハネ5章4節


キリストが助けてくれて、勝利を得ることが出来る。



これは、信じる者は、キリストの助けによってこの世での使命を全うできると理解します。



いつ死ぬかはわかりません。もしかしたらテロリストに殺されることもあるかもしれない。


でも神さまからこの世界で必要とされている限りは決して死ぬことはありません。



そして死んだあとは、勿論永遠の幸せな世界が待っています。


こんな覚悟が出来ることは、これからますます重要になるのではないでしょうか?










 

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