生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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2016年02月

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 福島の原発事故による放射能汚染は本当に大丈夫なんでしょうか。飯山一郎さんによると北米でも放射能の数値が上がってきているらしいんです。原発事故が発生したから大きくクローズアップされた原発問題を整理したいと思います。

  • 原発賛成派のポイント
原子力には事故のリスクがあるが、原子力発電がなくなれば私達は別のリスクに直面する。それはエネルギー安全保障、不安定な電気料金、二酸化炭素排出量増による気候変動だ。(国際環境技術研究所所長 山本隆三氏)


<使用済み核燃料処分について>長期間にわたって安定している地層の中に高レベル放射性廃棄物を定置・埋設することによって、人間と接近可能な生物圏から「隔離」することが地層処分の本質なのだ。最終的には地下水などに放射性物質が溶け込んで自然界に放出されることがあっても、当該放出される量が、自然界に存在する放射線量との相対的な比較などの基準で十分安全だと評価される程度に抑えられるよう、廃棄物のパッケージングの工夫や地層の選定を行うこととする、という考え方である。・・・1億年は動いていない地層は日本には多くあり、火山や活断層も避けることは段階的調査を行う中で可能となる(国際環境技術研究所前所長 澤昭裕氏)

  • 原発反対派のポイント
    • 日本は地震大国、大地震が起きたら原発の安全性が確保できない
    • 家も職場も学校も生活環境の全てを失ってしまう可能性がある
    • 事故の際は電力会社の事故処理・除染費用、損害賠償金の支払い負担が大きい
    • 使用済み核燃料の廃棄・保管問題が解決していない
    • 火力発電をフル稼働させれば電力の供給は十分
    • 原発の寿命が来た時の廃炉費用が莫大になる
 如何ですか?どちらもそれぞれ理解は出来ます。それぞれそれなりに筋は通っているから議論しても互いに譲らない。だから平行線になってしまうことになります。じゃあどうするかというと、民主主義社会では多数決によって決め、全体主義、独裁体制社会では指導者が決定することになります。それぞれ筋は通っているのにどちらかは諦めなければならないという不都合な現実に直面することになります。

 人にはそれぞれ意見がありますが、これはそれぞれの信念によるものであるということではないでしょうか?そして信念の上で議論をしているということです。

 相撲取りは同じ土俵に上がって初めて勝負出来、決着がつきます。信念とは土俵と同じようなものです。だから同じ信念を持つ時初めて、議論は成り立つことになります。原発反対派、賛成派という互いに違う土俵の上に立っているから決着がつかないのではないでしょうか?

 こういうことってクリスチャンである私にはすごいよくわかることなんですよ。コリント人への手紙第一2章14節に、
クリスチャンでない人は聖霊様が教えて下さる神さまの思いを理解する事も、受け入れることも出来ません。。
クリスチャンとは、イエスキリストを信じる人ですが、この文章をまとめると、信じないとわからないよ!ということだと思います。なんか聖書って都合良すぎないか?って感じてしまいますが、実は世の中も同じなんですね。物事ってまず信じることから始まる。そして何を信じるかによっても大きく変わることになります。

 論理は道具です。銃は狩猟などには実に便利ですが、使う人によっては人殺しの道具になってします。論理も道具です。使う人の信念によって良くもなり、悪くもなります。。論理は絶対ではありません。それよりも何を信じるかが重要です。

私の恩師の著作です。


引用:国際環境経済研究所 http://ieei.or.jp/
日本の愉快な仲間たち https://japanandworld.net/archives/1465

Zika gera problema teológico para Igreja Católica

 ジカ熱によって、ラテンアメリカ諸国では中絶問題が再燃しつつあるとの報道が一部日本のメディアでも指摘されていますが、大きな問題には発展しないのではないかとの見方が広がっています。ラテン・アメリカ諸国は伝統的にカトリック信者が多いのは周知の事実です。カトリック信者の信仰生活の指針ともなる「カテキズム」には、

定期的な禁欲、つまり自己観察に基づき妊娠しない時期を利用する産児制限の方法が、客観的な道徳規準と一致する。

 カトリックでは中絶は認めらていないが、避妊具の使用は認めていません。上述のような、いわゆるタイミング法による避妊のみを認めている状況です。。

 しかし、メキシコ人の88%、コロンビア人の91%、ブラジル人の93%が避妊具の使用に肯定的であるとCNNは伝えています。ここ数十年のラテンアメリカ諸国のトレンドは、プロテスタント信者と無神論者の成長です。スペイン大手メディアEL PAISは、ラテンアメリカ諸国では1970~2014の間に、カトリック信者が92%から69%に減少し、プロテスタスタントは4%から19%に、そして無神論者は0%から8%にそれぞれ増えたとしています。原因としては、神さまとのコネクション、人格的な関係構築を求めた結果だとしています。

 これって、なかなか日本人にはよく意味がわからないかもしれません。

プロテスタントでは、イエスキリストを信じれば救われる。とします。信じるとは自分に関する全てをキリストに任せるということです。。

キリストには任せることが出来るというのです。任せたら聖霊が助け、行くべき道も教え、必要な物は与えて下さることを信じています。キリストは今も生きている。ということなんです。聖霊という言葉が出て来ましたが、聖書ででは、神さまは、父なる神(イスラム教のアラーにも該当)、イエスキリスト(イスラム教では神ではなく預言者)、聖霊が一体となっている(三位一体)としています。

一方、カトリックはといいますと、

 救われるためには信仰だけではなく、行いも大事

だとします。だからカテキズムのような指針書に基づいて、禁欲も奨励されることになる訳です。。信仰と行いが両方重要だとするんですが、信仰って目に見えません。でも行いは目に見えます。。だからついつい行いにばかり気を取られることになっていく。すると、だんだん禁欲ばかりがクローズアップされることになります。。でも人間は禁欲なんて耐えられないんです。だからついていけなくなる。。ラテンアメリカでおこっていることってこういうことです。。

じゃ、プロテスタントでは信じるだけでいいなら、悪い事はしてもいいの?

こういう疑問が湧いてきませんか?先程書きましたが、任せたら聖霊が助け、行くべき道も教え、必要な物は与えて下さることを信じています。神さまが助けてくださるから自分で頑張らなくても良いことが出来るようになる。とプロテスタントは考えます。。プロテスタントでも中絶は良くないと考えている人が多いと思いますが、、避妊は悪いと考える人は少ないと思います。。でも良くないと思うことと、実際しないことは別問題だと考える訳です。。

例えば、子供がご飯をこぼさないで綺麗に食べることはいいことだと思っても、なかなか出来ません。。だからお母さんがこぼしてもいいように、下にシートを敷いてくれたり大きめのお皿を用意してくれたりして、なんとか汚さずに食べることが出来るなんてことありませんか。。これと同じことです。。禁欲出来ない人間に、一方的に禁欲しろといったって出来っこない。良いことをしようと思ってもなかなか出来ないから、良いことをしようなんて言ってもしょうがない。だからまずイエスキリストに任せよう。そしたら自分を助けくれる。お母さんが子供を助けるのと同じように。。こういう風にプロテスタントは考えます。。

画像:GOSPEL PRIME

引用:CNN
http://edition.cnn.com/2016/02/03/health/zika-tests-catholic-position-on-birth-control/
EL PAÍS
http://brasil.elpais.com/brasil/2014/11/13/internacional/1415854297_029972.html
Japan-lifeissues.net
http://japan-lifeissues.net/writers/kop/kop-03churchnfp-ja.html




 



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 池上彰さんは、ほんと分かりやすい!!大好きです。。分かりやすいってことは論理的だと言うことですね。。

でも聖書は実に非論理的で、はちゃめちゃ。だからイエスキリストを信じたクリスチャンだけが、聖霊によってしか理解できないもの。でも、イスラム教は実に分かり易く論理的である。


これについては、昨日の投稿コーランは翻訳すら禁止されているのに聖書の訳の違いって何でいいの? に書かせて頂きました。

あらためて日本ムスリム協会のコーランについての説明を引用致します。

現在のクルーアン(コーラン)は第三カリフ・ウスマーンが651年に結集したものを正本としています。イスラーム教の正典はアラビア語の原書が正本とされ、他の言語に翻訳されたものは正本とはみなさず、意味の解釈としています。



これって、実に正論だと思うんです。。同じ意味の言葉でも文化の違いなどによって、言語によってはニュアンスが変わってくるので、同じ意味合いで翻訳することは不可能に近いからです。だから翻訳本はあくまで意味の解釈。その通りですよ。。

かたや聖書はというと、翻訳は勿論しかも同じ言語の中に様々な違った訳があって、それぞれ教典として認められているんです。いや、これはないっしょ。。いい加減すぎますよ。フェイクと言われても仕方がない。。そして聖書はいいます。

クリスチャンでない人は聖霊様が教えて下さる神さまの思いを理解する事も、受け入れることも出来ません。(テモテへの手紙第一2章24節)

こんな自分勝手なことまでいう。。ふざけてるんです。なぜ聖書がこんなふざけたことを言うかというと、

人間がふざけた奴らだから。。人間が罪びとで自己中心だから。。人間にはほとほとあきれている。。だから全て助けてやるよ。。聖書だってことこまかに教えてやるよ。。

と言うことなんです。。聖書がいう神さまは今もクリスチャンに介入されるということです。生きているということです。これめちゃくちゃ重要なところです。だから聖書の訳で多少の違いがあっても神さま(聖霊)がフォローするからいいよ。と言うことなんです。。

この考えで言うと、コーランについて翻訳が認めれていないということは、

人間が持っている知性で頑張って理解しなさい。

ということになりませんか?翻訳なんかすると意味が変わってくるから、人間はどうしても本来の意味を間違って解釈してしまいますよね。。キリスト教ではその間違いを神さまが修正してくれるけど、イスラム教のアラーは修正してくれない。。だから人間がめちゃくちゃ努力してアラビア語を勉強しなければならなくなるんです。


イスラム教では人間の努力が重んじられる。だから厳しい戒律があるんです。。中東でアラーの名の下に戦っていますが、様々な困難も人間の努力で乗り越えなけらならない。。だから必死で戦争までして変えようとする訳です。

哲学用語で「性善説」「性悪説」と言う言葉があります。性善説とは、ざっくりいうと、人間は本来素晴らしく、何でもする事が出来る。という考え方。。性悪説は、人間はどうしようもない。根っからの自己中心でやることなすこと実に悪い。。こんな感じ。。

どうですかイスラム教は性善説的なんですね。。でもキリスト教は性悪説。

じゃあ、キリスト教徒は神さまが代わりに助けてくれるんだから、戦争なんてしなくてもいいじゃん?と言う方がおられると思うんです。。私もそう思います。。クリスチャンだったら敢えて自分から復讐しなくてもいいと思うんですけどね。。でも昨日の投稿にも書いたけど、クリスチャンは神様ではないから、時には間違ってしまう。そして、クリスチャンの中でもいろいろ違った考えを持つことも認められているから、戦争も場合によってはいいんじゃないか?みたいなクリスチャンも出てくる訳なんですね。。

 多分こういうことは池上さんには理解出来ないと思うんです。特に非論理的なキリスト教については説明出来ないのではないかなと思います。。

 だからイスラム教も、アラビア語に精通しておられる方に聞かないと分からないはずです。

画像著作者:j0sh 

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聖書の訳の違いついては既にいくつかのサイトで説明されています。。
教文館さん
聖書の話さん
YAHOO知恵袋
 
その他にも多くの方が適格に説明されていらっしゃると思います。 それではなんで訳がたくさんあるのかなんですが、、聖書は諸外国語に翻訳されて、しかも同じ言語の中にも違った訳があります。。 私はポルトガル語で聖書を読むことがあるんですけど、ローマ人への手紙12章2節

(世間の人々の生活態度や習慣をまねてはいけません。)むしろ、すること考えること全ての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。。(リビングバイブル日本語訳)

でも、リビングバイブルポルトガル語訳だと、、

むしろ、すること考えることすべての面を主なる神様に変えてもらいなさい。

直訳すると、違った意味になります。同じ聖書のはずなのにニュアンスはかなり異なってくるんですね。 Why Japanese people?  じゃなくて、Why Bible??ですよ。 そして、出エジプト記33章19節には、

・・・わたし(神さま)は、自分がそうしようと思った者に心から同情し、恵みを与える。

えっ???>>??ある人は悔改めさせて、信仰に導くけど、ある人はあわれまないで反抗するままにさせる。。ってことですよ。。

ところが、、テモテへの手紙第一の手紙2章4節では、、

神さまはすべての人が救われて、真理を理解するに至ることを切に望んでおられるからです。。

Why God?? Why Bible?はっきり言って聖書って目茶苦茶です。。めちゃくちゃ。。

聖書は結局、人間の知性で理解しようとしてはダメなんじゃないかなと思うんです。。まず始めに覚えたいのは、

聖書は非論理的である。。

ということだと理解しています。。じゃあどすればええねん。。どう読めばええねん。ってなりますよね。。

コリント人への手紙第一2章14節に、

クリスチャンでない人は聖霊様が教えて下さる神さまの思いを理解する事も、受け入れることも出来ません。。

はいはい。。聖霊様が教えてくれる?聖霊?げげげの鬼太郎ちゃうんやから。。めちゃくちゃあやしい。。はい。

しかもクリスチャンでない人にはわからないと言ってます。クリスチャンっていうのは、イエスキリストを信じている人。。信じるっていうことは、、自分に関する全てをイエスキリストに任せるということです。

でもですよ、裏を返すようですがイエス様を信じれば、あとは聖霊が聖書を教えてくれるってことです。別に頭がよく無くてもいい。。勉強が出来なくてもいい。。だから私みたいな奴にもこれだけ偉そうなことが書ける訳です。。
めっちゃ楽ちんやん!!

聖書は聖霊によって理解する。。

これが2番目のポイントです。これが分かると、なぜ訳がいっぱいあるのかわかって来た人もいらっしゃるかもしれません。。聖霊が教えてくれるからって、みんなが僕みたいに語り出すわけです。。そしてそして、ローマ人への手紙14章5節、

・・・各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。。

人によって違った考えを持つことを認めているんですね。。聖書の別の箇所では、互いに批判したり裁いてはいけないと書いています。それぞれの考えを認めましょうということ。なんか立派な学校を出てるとか、能力は関係ありません。だから聖書にはいろんな訳があるわけなんです。

 でも、クリスチャンだからと言って神さまになる訳でがはありません。聖霊が教えてくれていると思っても、実は単なる自分から出た考えに過ぎないこともありますから、そこは謙虚であるべきです。だからここで偉そうに書かせて頂いたことも、あくまで私の本日現在の理解に過ぎません。明日になれば変わっているかもしれない。絶対というつもりはありません。

話が長くなってすいません。。そして、コーランについて。。日本ムスリム協会さんのホームページを見ると、

現在のクルーアン(コーラン)は、第三代カリフ・ウスマーンが651年に結集したものを正本としています。イスラーム教の正典はアラビア語の原書が正本とされ、他の言語に翻訳されたものは正本とはみなさず、意味の解釈としています。
これは、すごい理解出来るんですね。。だって同じ意味の単語でも、言語によって微妙にニュアンスが違ってきます。だからそれぞれの翻訳本の意味もどうしてもずれて来ます。。だkら正本とは出来ない。。実にわかりやすい。論理的です。。

イスラム教は論理的、キリスト教は非論理的。実はイスラム教とキリスト教は似て非なるもの。。

このポイントが分かると今の中東問題なんかの理解の助けになりますよ。。今日はこの辺で。。

ところで、おれも薄切りフェルナンドでデビューしようかな。 

引用:聖書リビングバイブル、聖書口語訳 
日本ムスリム協会
 http://jmaweb.net/free/aboutislam

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 健康科学分野では中南米で最も権威のあるオズワルドクルース財団(リオデジャネイロ)のフィオクルス代表は、尿と唾液中で感染力のあるジカウイルスを確認したことを2月5日金曜日に開かれた会見で明らかにした。

 ジカ熱の症状のある二人の患者の尿と唾液のサンプルを、デング熱や黄熱病などの病原体を含むことで知られるフラビウイルス の研究で広く使用される細胞と接触させると、この細胞が破壊されることを確認出来たという。この破壊はジカウイルスの活動を示すものだとしている。

 画像は、ジカウイルスを含む尿や唾液のサンプルに接触する前の細胞(左)と接触させた後の細胞(右)

引用&画像
Agência Fiocruz de Notícias ブラジル
https://agencia.fiocruz.br/fiocruz-detecta-presenca-de-virus-zika-com-potencial-de-infeccao-em-saliva-e-urina

  
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