生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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2016年02月

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 昨年9月に可決成立した安保法制では改憲派と護憲派の間に大きな溝が生じました。改憲派は右、護憲派は左と言われますが、既に日本では左翼と右翼って、はっきり言ってもうどうでもいいことなのかも知れません。もうどの政治家も左翼的なところもあれば、右翼的なところもあります。これ、国によっても右翼、左翼の定義は変わってくるのですが、日本の場合にあてはめて考えていきたいと思います。。

 まず右翼のことを保守、左翼のことを革新とかいいます。。保守というと何かを守るイメージがありますね。何を守るかと言えば、昔からの価値観を守るということになります。革新というのは、新しいことをやろうというイメージがありますね。

保守は、人間にとって大事なもの普遍的である。と信じることです。

革新は、人間はどんどん進歩出来るから人間にとって大事な価値も変わっていくと信じること。

と理解して下さい。 ここで気づいた人もおられると思いますが、、どちらもそれぞれの考え方を「信じている」というポイントが重要です。。人間は気づく気づかないに関わらず、何かを必ず信じています。いや、ぼくは何も信じない、ちゃんと論理的に証明されなければと言う人もいるかもしれませんが、この人は論理の力を信じています。
いやいや、何も信じないと言う人もおられます。でもこの人は世の中何も信じるられるものはないということを信じていますね。。笑い話みたいになってきました。。だから保守を信じる人、革新を信じる人はどういう考え方になっていくかというと。

保守の場合、日本は伝統的に天皇中心に国が成り立ってきたから、これからも天皇のために一致団結して国を守っていこう。国が危機の時には命がけで国を守るために闘おう。という論理です。。

革新は、人間1人1人自分の人生を生きる権利がある。国のためではなくて1人1人自分のために生きるほうがいいという考え方です。

はっきりいって、どちらもそれなりに信じるところに従って筋は通っています。だから互いに議論してもどちらもそれなりに正しいからどこまでも平行線になってしまうという訳です。

聖書ローマ人への手紙1章17節には

その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。(新改訳)

そして、コリント人への手紙第一2章14節には、

クリスチャンでない人は聖霊様が教えて下さる神さまの思いを理解する事も、受け入れることも出来ません。。(リビングバイブル)
 クリスチャンとはイエスキリストを信じる人のことです。。信じる人にしか理解できないなんて、都合がよすぎるなんて思うかもしれませんが、私達の住む日常生活も信じることから始まっていることばかりなんですよね。

 世の中、信じないと理解に進まないんです。

 

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学校の成績は知能ではなく性格で決まる。
先月のハフィントンポストにはこんな記事がありました。。成績だけじゃなくて仕事も性格と関係あると思いますよ。

私、ポルトガル語を学んでるんですが、「mente」という言葉があります。これ日本語だと、こころ、そして知能、知性という意味があるんですよ。同じ単語に3つの意味。多分性格と成績、能力との関係なんてことは、いまさら調べなくても昔から当たり前のことなんだと思います。

 でも、性格なんてそう簡単に変えられるものではありません。でも、クリスチャンには以前の自分とは180度変わったと言っている人もたくさんいます。私もそうです。昔は人と比較ばかりしていました。身長、学歴、容姿、、でも今はそんなのどうでもいいです。。うん?たまに容姿は気になるかもしれません。。クリスチャンといっても神さまになった訳ではないので、誘惑に負けそうに成る時も、そして負けてしまうときもあります。。でも明るくなりましたよ。幸せだと思いますよ。

私だけではありません、キリストを信じて人生が変わったというAV男優。 そして薬物依存から立ち直った牧師(この人について15日月曜日に投稿します!)、日本にもやくざから牧師になった人は何人もいます。。

このブログでは何回も言ってますし、これからも言い続けますが、キリストは生きています。そして助けてくれます。それだけではありません。性格や考え方も大きく変えてくれます。 

むしろ、すること考えることすべての面を主なる神さまに変えてもらいなさい。ローマ人への手紙12章2節(リビングバイブルポルトガル語版)
変えてもらうためには、自分の一切をイエスキリストにお任せすることです。僕もクリスチャンの知り合いがたくさんいますけど、京大に二人、ICUにも二人合格してますね。。よく考えると。。 

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 イエスキリストの使徒の1人にパウロと言う人がいます。新約聖書が執筆された時代のユダヤ人の中でも稀代のエリートであったことが知られています。パリサイ派(ファリサイ派)というエリートグループに属し、当時最高のラビ(教師)であったガマリエルに学んだ人の中でも最も優秀だったと言われています。

 そして、新約聖書の一部はこのパウロを通して執筆されました。パウロが執筆したコリント人への手紙第1 2章4節にこんなことが書かれています。

そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力にとの証明によったのである。


人一倍優秀なパウロですからその博学な知識を活用して書いているのかと思いきや、こんなことを書いているのです。これはかなり不思議です。だって書かなければ、パウロが書いた傑作になったハズです。。でも敢えてこんなこと言っている。大体欲深い人間の本性からは出てこない発言だと思いませんか?だからパウロのこの発言は信じるに値するものであると私は思います。

だから、聖書は聖霊が人を通して書かれた書物

ということになります。そしてパウロは聖霊について次のように書いています。

生まれながらの人は、神の御霊の賜物(聖書)を受け入れない。それは彼には愚かなものだからです。(コリント人への手紙第1 2章14節前半)

如何でしょうか?聖書を信じない方にとっては、聖書は迷信だと思います。パウロはこのことを言っています。パウロが生きていた時代は約2000年前です。まだ科学も発達していない時代だから信じることができたんじゃないかと考える方もいるでしょう。でも当時でも聖書を信じなかった人がいたのです。こんなことも書かれています。

この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者はひとりもいなかった。(コリント人への手紙第1 2章8節)

当時のVIPとも言うべき権力者や重要人物に限って信じていなかったというのです。これも現代と同じ気がします。わざわざ神様に頼らなくても自分でやっていけると考える成功者は多いと思います。そして、

霊によって霊のこと(聖書)を解釈するのである。(コリント人への手紙第1 2章14節後半)

私達は人間によって書かれた書物を理解することが出来ます。。なぜなら人間だから。犬に書物を読めと言っても無理ですよね。聖書は聖霊によって書かれたのですから、聖霊によってしか理解出来ないことになります。現代でも多くの方が聖書は何を言っているのかわからないと考えていますが、人間だからわからないんです。わからなくて当たり前なんです。逆説的ですが、だから聖書は人間が書いたものではないのだなあと思うんです。

それでは、どうすれば霊によって読むことが出来るのでしょうか?先程も出て来ましたコリント人への手紙第一2章14節前半です、今度はわかりやすいようにリビングバイブル(現代語訳)で書きます。

クリスチャンでない人は聖霊様が教えて下さる神さまの思いを理解する事も、受け入れることも出来ません。。(リビングバイブル)

クリスチャンになればいいんです。。イエスキリストを信じればいいんです。信じれば聖霊が与えられます。じゃあどうすれば信じられるのでしょうか?これにはハッキリ言ってノウハウはありません。人それぞれです。パウロは元々ユダヤ教徒でした。ユダヤ教徒はイエスキリストを認めません。エリートユダヤ教徒だったパウロは実はキリスト教徒を迫害していました。ですが、ある日突然、「なぜ私を迫害するのですか」というキリストの声を聞いて、いきなり目が三日間見えなくなったことがきっかけでキリストを信じるようになりました。

現代でも人によって様々です。わたしみたいに苦しい目にあってキリストを信じるようになった人もいます。でも中には小学生の時に信じる人もいます。わからないながらに聖書を読んでいたら信じるようになった人もいます。でも聖書を読んでも信じない人もいます。ただひとつ間違いないことがあります。信じたいと思ったら信じられます。

今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。(ヨハネによる福音書16章24節)

イエスキリストに求めてみれば、祈ったら信じられます。。

さて、話は聖霊に戻ります。コリント人への手紙第1 2章15節には、

霊の人は、すべてのものを判断する。(リビングバイブル)新改訳では、判断するがわきまえるとなっています。

これはすばらしいです。世の中わからないことだらけですが、わかるようになる。と言うんです。自分がこれから何をすればいいのか。この時代はどういう時代か、あの人の意図は何か。何が本当はしたいのかなどなど・・。

クリスチャンでも信じる度合いが違います。だから聖霊による理解度も個人差がありますが、でも更にすごい特典があります。

むしろ、すること考えることすべての面を主なる神様に変えてもらいなさい。ローマ人への手紙12章2節(リビングバイブルポルトガル語版)


信じる人には、人それぞれに相応しい形で、相応しいスピードで成長させて下さると約束して下さっています。


恩師の著書です。

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北朝鮮の外交は決して理解出来ないものではありません。

まず北朝鮮は韓国と停戦状態にあります。
その韓国は米国とは米韓軍事同盟を結び、有事の際は韓国軍は米軍の傘下に入り戦闘します。
米軍が戦ってくれるわけです。

かたや、北朝鮮はロシアとは露朝友好善隣協力条約を結んでいますが、軍事同盟ではありません。中国とは中朝友好協力相互援助条約という軍事同盟を結んでいますが、アメリカと中国の軍事力の差を考えれば不十分です。そして中国は韓国との経済関係を深めています。こうした背景を考慮すれば、北朝鮮の核武装は常軌を逸したものではないと言えると思います。

日本も日米安全保障条約という軍事同盟があり事実上核の傘に守られている訳です。人の事をとやかく言うのはおかしいのではと思います。

大きく横たわる拉致問題

日本と北朝鮮の間には拉致問題があります。拉致は決して肯定出来るものではありませんが、北朝鮮は停戦中ではあるものの戦争状態にあるということを考慮しなければならないと思います。戦争とはルールなきスポーツのようなものです。何でもありなんです。平和な国日本から見れば、拉致など考えられないのはよくわかりますが、戦争状態という緊急事態下にある国の常識は平和な国の常識とは違うという認識を持てば、拉致も少しは理解出来るのではと思います。

一国家として北朝鮮の外交政策は全然まともな国だと思うんです。ただ、北朝鮮の内政には日本では考えられない問題があると思います。。ただ拉致問題は互いの外交問題ですから、北朝鮮国内の抑圧や弾圧などに振りまわされ、常軌を逸したならず者国家みたいな偏見は捨てたほうがいいと思います。問題は北朝鮮が戦争状態にあって日本が平和国家であるという違いを直すことが重要な気がします。。なんとか朝鮮戦争を終結させることでようやく交渉が始まるのではないかと考えます。。

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キリスト教などの宗教は、どこか禁欲的で、セックスの話題すら不謹慎なのではないかと思われがちですが、そんなことはありません。

聖書の始めの創世記には、神は人を男と女を創造した。とあるように、性的な生命体としてセックスから喜びを分かち合えるような性感機能も作られました。

コリント人への手紙第一7章4節には、夫婦は互いに体を提供し合いなさい。セックスは、夫婦の互いの霊性、心、そして体をひとつにさせるものだということです。旧約聖書では性行為を「知る」という言葉で表現していますが、知るとは霊性、心、体を知るということです。

夫婦間以外のセックスではただ体だけを求めてしまいます。これはセックスの本当の喜びは分からないどころか、互いを傷つけることにもつながります。また霊性をひとつにするということもクリスチャンでないと理解出来ません。キリストを信じる時に与えられる聖霊のことです。互いに聖霊による平安や賜物を分かち合うことです。ですから本来の喜びはクリスチャンの夫婦しか味わえないものです。

また聖書にはセックスの仕方などは何も書かれていません。ローマ人への手紙14章に「何でも信仰に依らないものは罪です。」とあるように、互いに罪意識を持たないならば形式にこだわる必要はありません。形にこだわることなく自由に楽しみましょう。

引用 CBS アメリカ
http://www1.cbn.com/teaching/sex-bible-marriage?cbn_next_article_nid=293216&cbn_next_article_title=Marriage%3A+If+It%E2%80%99s+Broke%2C+Why+Fix+It%3F



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