水木しげるさんは、恐らくクリスチャンではないでしょう。。しかし、水木さんの「幸福の7カ条」に共感を覚えるクリスチャンは多いのではないでしょうか。
第七条:目に見えない世界を信じる。
人間は、気づこうが気づかまいが、何かに頼って生きていると私は考えます。日本人の中には世は諸行無常で空しいから何も信じられるものはない。という方も多いと思います。だから結局自分を信じるしかない。。自分を信じるって私には出来ません。これをしようと思っても出来ない。自分の思うどおりにはいかない。こんな頼りない自分には頼りたくないからです。。
「諸行無常」は栄華を極めた平家一族について描かれた平家物語の冒頭に、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」と登場してきます。彼らには目に見える栄華がありました。それは豊かな富に基づくものだったでしょう。しかし、彼ら一族は最終的に壇ノ浦にて滅ぼされてしまいます。
栄華は結局あてにならなかった。裏切られてしまった形になりました。
そして出て来たのが、「諸行無常」。もう少し詳しく見ますと、
祇園精舎の鐘の聲、
諸行無常の響あり。
沙羅雙樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、
唯春の夜の夢の如し。
猛き者もつひには滅びぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
彼らは、栄華に頼っていた、拠り所にしていたのだけれども、それに裏切られた空しさを感じます。
聖書にも平家物語に似た物語が収録されています。新改訳聖書では「伝道者の書」」新共同訳では「コヘレトの言葉」です。筆者はイスラエルの王ソロモンです。当時のイスラエルの存在感は、今でいう、ロシア、アメリカ、ドイツを足し合わせたような強大なものでした。その王であるソロモンにも当然栄華がありました。しかし、この物語の冒頭には、「空の空、空の空、いっさいは空である。」と偶然の一致とは思えない程、平家物語冒頭に酷似しています。
ソロモンはこの物語の最後に、「神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」と結論付けます。この目に見える世界一切は空しい。だから目には見えない神に従えと結論づけます。ソロモンは続けます。「神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともに裁かれるからである。」この世界いだけではない、今はまったく見えないけれども人は神の前でさばかれるのだから、こんな霧のように消えてなくなるような世の中のものに依り頼むのではなく、神に従いましょう。と結論付けるのです。
神に従うこととは、どんなことでしょうか?それは聖書を読めばわかりますが、決してつまんないものであったり、厳しいものではありません。
この辺も参考にして見て下さい。
水木しげるさん幸せの7カ条について。。昨日の続き
クリスチャンが水木しげるさんにめっちゃ共感出来る理由
チャオ!世の中、思うより楽しいかも。。