生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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2015年12月

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水木しげるさんは、恐らくクリスチャンではないでしょう。。しかし、水木さんの「幸福の7カ条」に共感を覚えるクリスチャンは多いのではないでしょうか。

第七条:目に見えない世界を信じる。

 人間は、気づこうが気づかまいが、何かに頼って生きていると私は考えます。日本人の中には世は諸行無常で空しいから何も信じられるものはない。という方も多いと思います。だから結局自分を信じるしかない。。自分を信じるって私には出来ません。これをしようと思っても出来ない。自分の思うどおりにはいかない。こんな頼りない自分には頼りたくないからです。。


「諸行無常」は栄華を極めた平家一族について描かれた平家物語の冒頭に、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」と登場してきます。彼らには目に見える栄華がありました。それは豊かな富に基づくものだったでしょう。しかし、彼ら一族は最終的に壇ノ浦にて滅ぼされてしまいます。


栄華は結局あてにならなかった。裏切られてしまった形になりました。
そして出て来たのが、「諸行無常」。もう少し詳しく見ますと、

祇園精舎の鐘の聲、
諸行無常の響あり。
沙羅雙樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、
唯春の夜の夢の如し。
猛き者もつひには滅びぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

彼らは、栄華に頼っていた、拠り所にしていたのだけれども、それに裏切られた空しさを感じます。

聖書にも平家物語に似た物語が収録されています。新改訳聖書では「伝道者の書」」新共同訳では「コヘレトの言葉」です。筆者はイスラエルの王ソロモンです。当時のイスラエルの存在感は、今でいう、ロシア、アメリカ、ドイツを足し合わせたような強大なものでした。その王であるソロモンにも当然栄華がありました。しかし、この物語の冒頭には、「空の空、空の空、いっさいは空である。」と偶然の一致とは思えない程、平家物語冒頭に酷似しています。


ソロモンはこの物語の最後に、「神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」と結論付けます。この目に見える世界一切は空しい。だから目には見えない神に従えと結論づけます。ソロモンは続けます。「神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともに裁かれるからである。」この世界いだけではない、今はまったく見えないけれども人は神の前でさばかれるのだから、こんな霧のように消えてなくなるような世の中のものに依り頼むのではなく、神に従いましょう。と結論付けるのです。

神に従うこととは、どんなことでしょうか?それは聖書を読めばわかりますが、決してつまんないものであったり、厳しいものではありません。

この辺も参考にして見て下さい。
水木しげるさん幸せの7カ条について。。昨日の続き
クリスチャンが水木しげるさんにめっちゃ共感出来る理由

チャオ!世の中、思うより楽しいかも。。



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水木しげるさんは、恐らくクリスチャンではないでしょう。。しかし、水木さんの「幸福の7カ条」に共感を覚えるクリスチャンは多いのではないでしょうか。

第四条:好きの力を信じる。

好きとは、真心を込める事が出来ることなのではと思っています。聖書には「何事も、まごころを込めて行いなさい」とあります。これは「何事も、どんなことも好きになれる。。あなたの心持ち次第」なのではないかなあ。と感じるのですが如何ですか??

私は、好きな物、事がよくわからない。。ということがよくあります。まず、ここで考えたいのは、自分の今置かれている状況。。環境。能力をよくよく観察することです。ごくごく些細な日常をよく観察すると必ずあります。思いもよらない発見が。思いもよらない心地よさを。その小さな心地よさを味わってみましょう。。一ミナ与えられたしもべが、それを元手に商売をして10ミナ儲けました。このしもべに主人は新たに10の町を支配させて下さったように、神様も、今与えられた状況を喜び楽しむ時に、結果を与えて下さり、そして更に大きな変化を与えて下さいます。。(自分に言い聞かせるつもりで書きました。)

第五条:才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

結果とは、よくよく考えると自分ではどうにもならないことです。自分で努力して志望した学校に入学した。と自分の努力のおかげだと思いたくなりますが、もし病気だったら、また経済的な状況で努力する環境がなかったら、もし戦争で戦地にいかなければならなかったとしたら、、。。あげればキリがないのですが、ある一定の条件が与えられていたからこそ入学出来たと考えるべきでしょう。努力すら与えられたことだったと理解すべきでしょう。

努力しても自分の思う通りにはなりません。なる場合もありますが、それは神様次第だということです。でも聖書には「何一つ無駄なことはない」とあります。神の国とその義を求める時、全て自分にとって最善の結果を神様が与えて下さいます。

第六条:怠け者になりなさい。

水木さんは、自分の好きな事を心をこめて行っておられたと思います。これに集中された人生だったのだろうと想像します。そして、この第6条は心をこめられないようなことはやるな。。と理解します。

生活のためにあれこれしなければならない。。「しなければ」という義務的な行いって以外と多い気がするんです。でもこんな思いで行動しても、それは雑になり、そして人にも迷惑をかける。。こんな経験を私は何回もしてきました。こんな時は一息つきましょう。第4条に戻って日常の小さなことに目をむけましょう。。
自戒を込めつつ。。

あー。。もう今日はこれまで。。チャオ!世の中、思うより楽しいかも。。

(これらは全て、筆者の個人的な考えです。正当化するつもりはございません。)

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水木しげるさんは、恐らくクリスチャンではないでしょう。。しかし、水木さんの「幸福の7カ条」に共感を覚えるクリスチャンは多いのではないでしょうか。

第一条:成功や栄誉や勝ち負けを目的にことを行ってはいけない。

聖書は、神の国とその義を求めなさい。という。神の国とその義を求めるとは、、神の栄光が現れるように、神の御名が崇められることを求めるということです。そして、そうすれば、必要な物は与えられる。と約束しています。成功とか栄誉、勝ち負けは全て自己中心的な目的。この考えの行き着く先が戦争です。。

第二条:しないではいられないことをし続けなさい。。

聖書のルカによる福音書19章に身分の高い人が十人のしもべにそれぞれ一ミナ(ミナは当時のお金の単位)を渡し、商売をしなさいと言って旅立ちました。そして、帰ってくると、あるしもべは「10ミナ儲けました。」と答え、そのしもべは新たに10の町を支配するよう命じられました。またあるしもべは「5ミナ儲けました。」と答えると、「5つの町のかしらになれ」と告げられました。。そしてまたある別のしもべが、「一ミナをふろしきに包んでしまっておきました。」と答えると、「その一ミナを彼から取り上げて、10ミナを持っているものに与えなさい。」と叱責されました。。。。。こんな話があります。。

好きこそモノの上手なれ。。神様は人にそれぞれ、能力、財力、環境などを与えられています。それは千差万別でしょう。それを使わずにほおっておくのではなく、使いなさい。。と言われます。ここで問題なのは、「使う」か「使わない」かということです。。そして使う時にそれは必ず報いられる。結果が出ると約束しておられように思います。使った人にはそれぞれ10ミナ、5ミナが儲かったように。神の国とその義を求める時に、必要なものは備えて下さるのだから、神の義を求める人が使えばそれは実となって戻ってくると信じます。。

第三条:他人との比較ではない。あくまで自分の楽しさを追求すべし。

これ、多くの「まじめ」なクリスチャンへの警鐘です。聖書は確かに善に親しみなさいと言っていますので、、いい事をしなければと思い、慈善活動などをしなければいけないとか平和運動を頑張らなければとか思うクリスチャンは多いと思います。でも聖書は、善は隠れて行いなさい。。自分の右手でしていることが左手に分からないぐらいに表だって善をするな。。とマタイに記されています。。第一、「善」ってなんやねん。て思いません?西田幾多郎の「善の研究」を読んでもわかるかわからないかみたいな、、これって哲学的な問いな訳です。。意識的にいいことをしようというのは危険です。。ちょっと極端な例ですが、、ヒトラーだってゲルマン民族の復興のために頑張った結果が、あれな訳ですから。ヒトラーはめちゃめちゃ真面目ですよ。。よかれと思うてやたけど、、。。見たいなこと多くないですか?良かれと思うことは「おせっかい」なだけみたいなこと。。目に見えるいいことは結構危険なんですよね。。と、思ったらフェイスブックのマーク・ザッカーバーグさんがこんなことを発表した。。
うーん。。どうなんやろ。フェイスブックやばいんちゃうかって思う訳です。。

もっと自分の感性を大事にしましょう。。自分の楽しさを追求しましょ。。「自分を愛するように人を愛しなさい。」と聖書はいいます。だからもっと自分を愛しましょう。。そしたら、愛する事が分かってきて、知らず知らずに人のためになっている。。これが自分の右手でしていることが左手に分からないぐらいに表だって善をするな。。
ってことちゃうんかな。。?自戒を込めつつ。。

あー。。もう今日はこれまで。。チャオ!世の中、思うより楽しいかも。。





(これらは全て、筆者の個人的な考えです。正当化するつもりはございません。)

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ISが管理する石油をトルコが不法に購入しているとのプーチン大統領の発言で大事なことは、
ISの背後に、なんらかの支援者がいる。それも国家レベルの巨大な組織が関与している
という認識を示したという点であると思います。この投稿でもISの背後にイスラエルなどがいることをロシアは認識しているのではないかと指摘しましたが、それを裏付ける発言だということです。そしてこんなニュースも。。イスラエルはアメリカの庇護国です。。アメリカの関与も否定できません。本当にロシアの認識が正しいかどうかはわからない。ただロシアはそう認識している可能性がこの発言でより高まったということです。このポイントに今後も着目していきたいと思います。



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