ぺかどおる

「あなたが右に行くにも、あなたの耳はうしろから、『これか道だ。これに歩め』ということばを聞く。」(イザヤ書30章21節) 「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイの福音書6章33節) 私は海洋散骨事業、そして通訳ガイドを営んでおります。毎日の生活はサラリーマンのように保証されておりません。しかし私は聖書を信じています。私の人生は上の御言葉の通り、神様がきめ細かく導かれ、必要なものも備えて頂き、充実した幸せな人生であることを確信しています。このブログではそんな私の歩みも綴らせて頂きたいと思います。宜しくお願い致します。

2015年11月

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 小学生のころ、少しのろまで頭も少し大きい同級生がいた。来る日も来る日もいじめに遭いながらも
学校が大好きだった彼は休むことはなかった。彼が持ってきていた弁当にはいつも美味しそうな大学芋
が入っていた。お母さんの愛情が滲み出ていた。
 
 私は彼のことをいじめることはなかったと思う。更に時には助けたこともあった。いつもではない。見て見ぬふりをしたこともあった。でも私は、家に帰るとやはり来る日も来る日も妹をいじめていた。

 いじめ自殺が後を絶たない。そしてその都度、学校や教育委員会は再発防止の対策を講じる。全国でいじめ撲滅に力を入れているが再発は繰り返されている。これはもうしょうがない。人間の性だと思う。だからいじめ対策で考えなければならないのは、再発防止ではなく、いじめが起きた時への対応だ。いじめをなくそうという取組は、地震をなくそうとする取組と同じくらい意味がないのではないか。地震対策とは地震をなくすためにあるのではなく、地震が起きた時にどう対応するかを考える取組に他ならない。いじめも地震もこれからも起こるのである。

 それではいじめが起きた時の適切な対応とはどういうことか?はっきりした答えはわからない。しかし人は困難な時こそ成長し、困難の中に成功へのヒントが隠されているとよく言われる。今全世界で20億近くの人が信仰している(といわれている)イエス・キリストもいじめを受けた。何一つ裁かれるような犯罪をしなかったにも関わらず、濡れ衣を着せられ十字架に架けられ処刑された。頭には茨の冠をかぶらされ、唾をかけられ、皮肉たっぷりに「ユダヤ人の王」と書かれた板きれの下、十字架に架けられた。まさに皮肉にも、現代にもこんな「いじめられっ子」だったキリストを救い主と信じる人が星の数ほどいるのである。歴史上偉大な業績をあげた人が、大した業績を上げたことのない人々が、このイエスキリストを真底信じ人生を歩んできたし、今もいる。でも少なくとも言えることは、キリストを信じ歩んでいる人に不幸な人を知らない。

 聖書はいう。このイエスに人生をかけてみないか?と。いじめを受けた時にふと、立ち止まってイエス・キリストの考えてから次のことを考えてみても悪くないと思う。

 参照:【ブラジル】戦いに敗れた兵士が降伏するように

じゃあね!チャオ!

アンコールワット

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廃墟ホテル

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 古いピアノを突き破る木(カリフォルニア)

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アイルランド・キルガーバン近郊で廃墟となった邸宅 
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画像:Best of Web
http://bestofweb.com.br/post/20-fotos-revelam-como-a-natureza-esta-vencendo-a-batalha-contra-a-civilizacao
 


 ゴスペルに詳しい方なら、知ってる(?)と思うんですが、オーストラリアのヒルソングチャーチのダーリン・チェックの「Shout To The Lord」 をブラジル・ゴスペルグループ「Além dos Cravos」(アレン・ドス・クラーボス)がブラジルポルトガル語に吹き替えた「Aclame ao Senhor」です。

 Além dos Cravosとは、「釘穴の向こうに」と言う意味で、十字架での死の向こうに救いがあることを表わしています。
     Aclame ao Senhor(主に叫べ)

(日本語訳)

私のキリスト 救い主、他に代わりはいない

あなたの素晴らしい愛を毎日褒め称えたい

私の慰め、守り、力はあなたです。

私の全てであなたをいつも褒め称えたい

全地よ!主に叫べ!

力と尊厳、賛美を捧げます!

山々はひれ伏し、海はうなります!

あなた御名に

あなたが成し遂げられた御業を褒め称えます!

喜びを持って

私への何にも替え難い揺らぐことのない約束に








 

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