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水木しげるさんは、恐らくクリスチャンではないでしょう。。しかし、水木さんの「幸福の7カ条」に共感を覚えるクリスチャンは多いのではないでしょうか。

第一条:成功や栄誉や勝ち負けを目的にことを行ってはいけない。

聖書は、神の国とその義を求めなさい。という。神の国とその義を求めるとは、、神の栄光が現れるように、神の御名が崇められることを求めるということです。そして、そうすれば、必要な物は与えられる。と約束しています。成功とか栄誉、勝ち負けは全て自己中心的な目的。この考えの行き着く先が戦争です。。

第二条:しないではいられないことをし続けなさい。。

聖書のルカによる福音書19章に身分の高い人が十人のしもべにそれぞれ一ミナ(ミナは当時のお金の単位)を渡し、商売をしなさいと言って旅立ちました。そして、帰ってくると、あるしもべは「10ミナ儲けました。」と答え、そのしもべは新たに10の町を支配するよう命じられました。またあるしもべは「5ミナ儲けました。」と答えると、「5つの町のかしらになれ」と告げられました。。そしてまたある別のしもべが、「一ミナをふろしきに包んでしまっておきました。」と答えると、「その一ミナを彼から取り上げて、10ミナを持っているものに与えなさい。」と叱責されました。。。。。こんな話があります。。

好きこそモノの上手なれ。。神様は人にそれぞれ、能力、財力、環境などを与えられています。それは千差万別でしょう。それを使わずにほおっておくのではなく、使いなさい。。と言われます。ここで問題なのは、「使う」か「使わない」かということです。。そして使う時にそれは必ず報いられる。結果が出ると約束しておられように思います。使った人にはそれぞれ10ミナ、5ミナが儲かったように。神の国とその義を求める時に、必要なものは備えて下さるのだから、神の義を求める人が使えばそれは実となって戻ってくると信じます。。

第三条:他人との比較ではない。あくまで自分の楽しさを追求すべし。

これ、多くの「まじめ」なクリスチャンへの警鐘です。聖書は確かに善に親しみなさいと言っていますので、、いい事をしなければと思い、慈善活動などをしなければいけないとか平和運動を頑張らなければとか思うクリスチャンは多いと思います。でも聖書は、善は隠れて行いなさい。。自分の右手でしていることが左手に分からないぐらいに表だって善をするな。。とマタイに記されています。。第一、「善」ってなんやねん。て思いません?西田幾多郎の「善の研究」を読んでもわかるかわからないかみたいな、、これって哲学的な問いな訳です。。意識的にいいことをしようというのは危険です。。ちょっと極端な例ですが、、ヒトラーだってゲルマン民族の復興のために頑張った結果が、あれな訳ですから。ヒトラーはめちゃめちゃ真面目ですよ。。よかれと思うてやたけど、、。。見たいなこと多くないですか?良かれと思うことは「おせっかい」なだけみたいなこと。。目に見えるいいことは結構危険なんですよね。。と、思ったらフェイスブックのマーク・ザッカーバーグさんがこんなことを発表した。。
うーん。。どうなんやろ。フェイスブックやばいんちゃうかって思う訳です。。

もっと自分の感性を大事にしましょう。。自分の楽しさを追求しましょ。。「自分を愛するように人を愛しなさい。」と聖書はいいます。だからもっと自分を愛しましょう。。そしたら、愛する事が分かってきて、知らず知らずに人のためになっている。。これが自分の右手でしていることが左手に分からないぐらいに表だって善をするな。。
ってことちゃうんかな。。?自戒を込めつつ。。

あー。。もう今日はこれまで。。チャオ!世の中、思うより楽しいかも。。





(これらは全て、筆者の個人的な考えです。正当化するつもりはございません。)