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 昔からよく小学生に将来何になりたいかと聞くと、 だいたい「サッカー選手」「パン屋さん」「お花屋さん」「野球選手」「科学者」「パイロット」・・・などごくごく限られた職業に絞られるてくるのではないでしょうか?社会には幾万もの職業があるにも関わらず。情報過多の時代と言われる今でも大して変わりません。情報発信ツールは増えましたが、今も昔も多くの情報を発信している大人たちが世の中を知らないからなのかも知れません。そして得られる少ない限られた情報の中から思いつく、ごく限られた職業に”夢”が偏ってしまうのは当然でしょう。そして、親や教師などの大人は、その夢に向かって努力する事を奨励することはいいことであると思っています。

 この「簡潔!ラテン新聞」も日本では余り流れない情報を発信して、実に微力ではございますがより世界を知ることに繋げていきたいと思っています。。

  しかし、本当にいいことなんでしょうか?夢を持つことよりも、もっと幅広く世界を知ることのほうが先のような気がします。世の中まだまだ面白い世界が溢れるほどあるのに、早い段階で ほんの限られた情報で知り得た職業に囚われてしまうのはもったいないと思うんです。みんなが同じ情報の中で、同じ目標を持つと、そこには競争によるほんの一握りの勝者と夥しい敗者が生まれます。夢を追い求める人生から生じる結果は膨大な挫折の山なのではないでしょうか?本来しなくても済んだ苦い挫折が残される訳です。

 
 子供に限らず、人は世界を知っているようで実は知りません。地震がいつ起こるかもわかりません。自分がいつ死ぬかも分かりません。それどころか、10分後に何が起こるのかも分かりません。私はクリスチャンは幸せだなと思うことがよくありますが、その一つは、自分の狭い狭い視野によって生きるのではなく、この世界を創造されたと言われる神様によって生きる事が出来ることです。聖書にこんな言葉があります。

わたし(キリスト)から離れては、あなたがたは何一つ出来ない。
なんてキリストって傲慢なんだと感じます。。自分から離れては何も出来ないなんて。。でも人間は何も知りません。だから世界を創造されたキリストと一緒に生きようということです。キリストは世界を創造したから、世界を知っているし、あなたがどう生きれば最も幸せなのかも知っているという訳です。。