生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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カテゴリ: RELIGION(宗教よりも絆と訳した方がいい)

ler-a-biblia-orar



前回(昨日)の続きです。。。



自己実現を目指す人生よりはるかにエキサイティングな人生のために、、




聖書を少しづつ少しづつ、ほんの少しづつでもいいから読んでいきたいってなことを 書きました。。



そして、わたしは、ここ6年ほどほぼ毎日聖書を読んできました。



でも、決して自分を取り巻く環境も、そして心の内側も順風満帆な日々ではありませんでした。




怒り狂った日もありました。 



所属していた会社の社長が亡くなる経験を2回しました。


しかも2回目は自分の父です。



経済的には厳しい状況に追い込まれました。




これが正直なところです。




でも、このように何事もなかったかのうようにブログを書くことが出来ています。




しかも、かなり前向きな。。。





私自身、以前のブログにも書きましたが、、



決してタフではありません。ダメ人間です。



受験は失敗の連続でした。



女性にもフラれたことが幾度かあります。



こんな人間がこのような苦境に立たされたら、アル中になるのが目に見えていると思います。。




でも、そうではない。結構平安なんです。。。



希望がある。



その証拠が、このブログだと言いたいところですが、、


まだまだ、残念ながら説得力はないですね。




まっ!!信じなくても結構です。今日のところは。



とりあえず幸せだと思っているのは確かです。




こんな精神状態でいられるのは、聖書を読む中で養われているからだろうなと実感出来ています!!



人間にとって、究極の幸せとは


平安に過ごす


ことではないでしょうか?



たぶん、私はキリストを知らなかったら、平安に過ごすために、お金、能力、容姿、そして権力を求めたりしていたと思うんです。




これらの条件が満たされればきっと平安な毎日が送れると考えていたことでしょう。




実際、ほんとにそうかもしれません。これらの条件が満たさされれば平安な毎日を送れるのかもしれません。



でも、残念ながらわたしにはこれらの条件はありませんので確かめようがありません。。容姿はそこそこかな??www




しかし、、、



いま平安に過ごせています。これらの条件は何一つ必要ではありませんでした。



いえいえ、決して突然出来たわけではありません。6年ほど聖書を読んできましたが、



この6年間怒り狂った日もありました。


でも怒り狂う回数は明らかに減ってきています。





こういうこと書かせるととりとめもなくなってしまうんですよね。。



まあそろそろお開きにしましょう。。



だから、、結局のところ、キリストへの信頼がポイントだといいたいわけです。




だから、、キリストが私たちと信頼関係を築くために与えてくださった聖書を少しづつ読みましょう。。



そしたら、凄いことになりますよ!!平安な毎日が待ってますよ!!


ということです。




そして、聖書を読むのはほんの少しからでいいと思うんです。



そしてそしてもう一つ、、計画や目標を立てていくことも大事なことのようです。。



これについて、また勉強していきますので、そしたら記事書きます。。



引用&画像(今日はホントに少ししか引用してないんですけどね。今日は書きたい放題でした)
ESBOÇANDO IDEIAS
https://www.esbocandoideias.com/2016/12/dicas-simples-para-ler-biblia-orar.html








 

ler-a-biblia-orar





奇跡的なことですが、ここ6年ぐらいはほぼ毎日聖書を読んでいます。



でも、本当にイエスキリストを受け入れるようになって20年近く経つにも関わらず、残念ながらここ6年です。



この6年何があったか??



それは結婚です。


結婚してから6年ぐらいたちます。


これを意識しているわけではないのですが、


やはり、これは大きな理由なんだと思います。



責任感といいましょうか。。。


人は一人でいるのは良くないと聖書にありますが、


人って意外と自分のためには頑張れないのだと思います。


クリスチャンの生き方は、自己実現ではありません。


この世界はすべてイエス・キリストによって創造された。


そして、


すべてイエス・キリストのために存在している。


だから生きる目的もキリストのために生きることになります。


自由もへったくれもない感じがしなくもないですが、



キリストは「愛」そのものですから、キリストのために生きるとは、窮屈どころか、


わたしが最大限生かされる生き方に他なりません。



誰でも自分のことは知っているようで知らないのではないでしょうか?



でもすべてのものを創造されたキリストは、よく知っています。製作者なのですから・・!!



だからキリストのために生きるとは、結果として自己実現以上のエキサイティングな生き方になります。



では、具体的にキリストに従うとはどういうことでしょうか?



それは、キリストにすべてを明け渡すこと。人生のハンドルをキリストに握ってもらうことです。。


自分の体を神様にささげなさい。。・・・そして自分をキリストに作り替えてもらいなさい。
ローマ人への手紙12章1~2節  リビングバイブルポルトガル語版


自分をすべてキリストに任せたら、作り替えてくれるというではありませんか??



そして、


わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い。マタイの福音書11章30節

軛(くびき)とは、牛に畑を耕させるときに、首にかけるくつわのようなものです。


わたしたちも、キリストにすべてお任せするときに、軛をつけられますが、それは決して窮屈ではないというのです。軽くてここちよい軛なのです。


なぜなら、キリストは愛だから、わたしたちに最善の軛をつけてくださり、心地よい使命に導き、しかも結果を出してくださるのです。



これが、キリストに従うということです。


決して苦行ではありません。楽しい道なのです。





だから、




聖書を読みたくなってくるわけですね。。そして、聖書のことばを通して行くべき道へと誘ってくださいます。



わたしも結婚して、少しは意識が芽生え、少し真剣にクリスチャンライフを考えるようになって、



いろいろ学ぶことが出来ました。



そして、聖書を読みたくて毎日読むようになったわけです。。




こんな感じです。


聖書を読むことで思いもよらないエキサイティングな人生が開けてきます。



まずは、無理なく少しづつ読んでいけばいいです。ほんと、一行からでも構わないと思います。


それでも、、なかなか毎日読めないものです。体調を崩したり、忙しかったり、そんな時は無理して読む必要はありません。


自分を責める必要はありません。

その分、翌日に読めばいいわけです。


引用&画像
ESBOÇANDO IDEIAS
https://www.esbocandoideias.com/2016/12/dicas-simples-para-ler-biblia-orar.html

ansiedade


心配について、、第2回目です。


さてまだ自分の心配についてリストアップはしていませんが、、心配について書き進めていきたいと思います。



心配って、文字どり、心を配ると書きますが、心を配る対象として、多くの場合、


お金



ではないでしょうか?


なぜなら、お金さえあれば、人生うまくいく。なんとかなる。と考えるからではないでしょうか??



これって、どういうことかと言えば、、


お金が神様になっている。


ということではないでしょうか?



だからお金を求めるんですよね。。



昨日のNHKスペシャル巨竜中国を見ましたか?


今中国は、海外への輸出も下降気味で不景気な状態に陥っていて、学生の就職もままならなず、


国もどんどん起業を奨励しているらしいとのことでした。どこかの国も似たようなこと言っているような気がしますが。。。



中国の場合、海外がだめでも国内にいる14億人のマーケットがあります。だからこれらの14億の人たちのマーケットを開拓していく必要に迫られているようです。


その切り札としてネット通販が今、注目を浴びています。



そこには多くの若者が殺到し、切磋琢磨している様子が放映されていました。



ある者は成功し、ある者は失敗する。しかも成功できるのは1割ほどだそうですね。


登場している若者の中に幸せそうな人はいませんでした。



たとえ、今は成功しているかのように見えても一寸先は闇。


そしてビジネスのために家族を田舎に残し、孤独の中でビジネスに奮闘する姿。



万能にも見えるお金。だからお金は必要。しかしどういうわけか、お金を求める先には、実際のところ幸せはありません。


聖書はいいます。


神の国とその義を第一に求めなさい。そうすればこれらのもの(お金)は与えられます。


お金を第一として、幸せにはなれません。この例は枚挙にいとまがありません。



これはお金が神様ではない証拠です。


中国は共産主義体制の限界を感じる中、改革開放へ大きく舵を切りました。すなわち、イデオロギーから経済優先、すなわちお金優先主義へ移行しましたが、決して人々の生活は豊かになっていません。


そして、人々は宗教へと向き始めています。それについては当ブログでも度々取り上げてきました。


http://raabinho.com/archives/4493015.html
http://raabinho.com/archives/7095401.html


人生において何を第一にするか?これが決定的に人生を左右します。



画像:GOSPEL PRIME
https://artigos.gospelprime.com.br/10-dicas-para-como-controlar-ansiedade/








 

ansiedade



1、明日はどうなるかわからない。もしかしたら明日はないかもしれない。
これは皆さん。。冷静に考えれば当たり前のことです。

あるかわかりません。もしかしたら今日死んでしまうかもしれない。


だから刹那的に快楽的に今を生きればいいということになってしまうのですが、、


クリスチャンはそうは考えません。


なぜなら、命はこの見える地上での生活だけではないからです。


命は永遠に続くもの、そしてこの地上の生活はその永遠の生活の前振りです。


前振りですよ。。前振り。


えっ!!。まじっ!!って気になりませんか?


この世の人生は前振りに過ぎなくて、本番はこの世界の後に待っているんですね。


そして、前振りだから、構わないんですよ。失敗しても。。

そして、、更に聖書にこんな言葉があります。

神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。コリント第一10章13節

例え、大変なことになってもそれは、決して耐えられないものではない。


必ず解決の道がある。ってなわけですよ。


心配する必要は無くなって行きますよね。



またまた、、聖書の大ほら吹きが始まったなんて思えなくもないかもしれません。



それなら、、心配そのものを冷静に分析してしてはどうでしょうか?

心配の原因をそれぞれ具体的にリストアップして見てください。


その原因には解決策はないのか??



今回はここまでにします。私自身にも心配事はあるので、自分でやってみます。。





引用及び画像:GOSPEL PRIME
https://artigos.gospelprime.com.br/10-dicas-para-como-controlar-ansiedade/


われわれ人間はAIに対して如何に差別化していくか?が今問われています。

聖書にこんな言葉があります。

たとい私に、異言(今まで知らなかったことば)で話す才能があり、

また、天と地のあらゆることばを話すことができても、

人を愛していなければ、ただの騒音にすぎません。 

同様に、預言をする才能があり、将来の出来事を予知し、

あらゆることに通じていても、人を愛さないなら、何の役に立つでしょう。 


また、山を動かすほどの強い信仰を持っていても、


愛がないなら、私には何の値打もないのです。 
Ⅰ コリント13:1~2


能力的な価値はAIに取って変わるのは時間の問題でしょう。


そこで、人間に求められるものは、


ずばり、人間性


なのではないでしょうか。愛による差別化の時代に突入するのではないでしょうか?


人間への関心、そして宗教への関心が益々高まっていくでしょう。



しかし、


人間性を高めるのは、学力を高めるよりも


はるかに難しい。

一体どうすればいいでしょうか?


聖書は言います。


義人は一人もいない。


愛のある人なんていない。ということです。


だから、


愛する皆さん。 そういうわけですから、あなたがたにお願いします。 

自分の体を神様にささげてください。 

それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。 


神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。 


世間の人々の生活態度や習慣をまねてはいけません。 

むしろ、すること考えることすべての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。 


そうすれば、神の道がどんなに自分を満足させてくれるか、わかるようになります。
ローマ人へ 12:1~2


自分の体を神様にささげてください。


とは、人間には本当に意味のあることは出来ないのだから、

神様に任せなさいということです。


そして、

むしろ、すること考えることすべての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。 


とは、自分で努力するのを辞めなさい。

ということです。


神様に任せたのだから、自分で頑張る必要がなくなるからです。


聖書には、

あなたの道を主に委ねよ。主が成し遂げて下さる。


神様に人生を任せるとき、神様があなたを通して結果を出して下さる。あなたを愛のある人につくりかえ、結果までプレゼントしてくださる。

んですね。



楽勝過ぎますね😃

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