生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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カテゴリ: RELIGION(宗教よりも絆と訳した方がいい)

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昨日、、投稿致しました、



トランプ大統領によって得するブラジル、アルゼンチンで、

ラテンアメリカはこれから大きくのびる!!のではないかと


書きました。さっそくですが話を進めていきます!!!

まず、ご覧のグラフの通りブラジルでは、社会に大きな変化が起こっています。

これ、革命的なことだと思いますよ!!


だって、日本ではこんな宗旨変化は数十年、いや100年単位で全く起こっていません。


宗旨が変わる、宗教が変わると考え方が変わります。

思考が変われば、行動が変わる

行動が変われば、習慣が変わる

習慣が変われば、人生が変わる

(アフィリエイトで必要なことはみんなLFMが教えてくれたより抜粋)

こんな有名な言葉もある通りです。


これが国家的単位で現在進行しているわけですから、


国家の行く末が変わってくる可能性が高いですね。


え、でもカトリックからプロテスタントの福音派に変わるって、そんな大きなことなの?同じキリスト教でしょ???

とお考えの方もいるかと思います。


一理あります。。


しかし、全く同じではあったら、わざわざカトリックから宗旨替えしません。


ブラジルの大手メディアでこんな記事がありました。


ブラジルでは、

カトリックの信者はおよそ17%が毎週ミサに出席し、34%が献金をする習慣があって、


プロテスタントの信者は半数以上が毎週礼拝に出席し、約半数が献金をする習慣があるそうです。

(出典:FOLHA DE SÃO PAULO)

お金の使い方が違うというのは、大きなことだと思います。。



それ以外にもいろいろと違いはありますが、気になる方はこちらのブログをご参照ください。

・まださなぎ
http://dettalant.hatenablog.com/entry/Cross-Cultural/03
・聖書ーキリストは人生を変える
http://bible.yokota-church.info/church/cp-df.html



それでは、経済せいちょーの話に行きましょう。


日本とブラジルのGDPの対前年比ベースの推移です。

ここ数年、どちらも不安定な状況なんですね。。。似たり寄ったりでしょうね。


やはり世界はつながっているのがよくわかります。グローバル化しちゃってるんですね。


うん?


福音派が増えてるけど、福音派のいない日本と大して変わらないよ??


確かにそうです。



マクロ経済だと、鉄鋼だとか、建設、製造業、卸売り・小売業など、売り上げ規模の大きい大企業の業績がより反映されるわけです。あくまでも、、マクロ経済の状況なんです。


でも、日本でもよく聞かれますが、

株価は上がっているのに給料には反映されない。。


景気が良くなっている実感がない。。
なんて言われるように、GDPも参考にはなりますが、これだけでは実体経済の良しあしはわかりません。

そこで、ミクロ経済を見ていきます。

音楽販売額前年比推移(2011~2015)出典:ガベージニュース、Pro-música Brasil
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こちらは、音楽CDやDVD、Blue-Rayそしてネットからのダウンロードでの販売額の対前年比の日本とブラジルの比較です。


日本は右肩下がりが顕著ですが、なんと、


ブラジルは毎年前年比プラスなんです。。GDPでは、似たり寄ったりなのに、音楽販売では全く違う結果になってますね。


ブラジルニュースサイトにこんな記事がありました。

ゴスペルと言われるキリスト教関連のタイトルの販売額は1年で15%もの伸びを示し、販売額上位20曲中ではゴスペル系がすでに多数を占める。
引用:O DIA
http://odia.ig.com.br/noticia/rio-de-janeiro/2015-10-31/venda-de-cds-de-cantores-da-musica-gospel-supera-idolos-da-mpb.html


マクロ経済の乱高下の影響を全く受けていないというところが特筆すべき点であると思いますし、

まさに内需拡大に貢献しています。


次は、書籍です。

書籍販売額前年比推移(2011~2015)出典:ガベージニュース、ブラジルSNEL
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電子書籍を除く書籍販売額対前年比推移です。

ここでも、同じ傾向が見て取れます。


ブラジルではすでに宗教が書籍販売の主要部門になっており、 更に見ていくと2015年でも全体では-3.3の減少ですが、宗教部門は僅かながら増えているという結果になっています。




<まとめ>


音楽や書籍というセクターは、国の経済政策とはあまり関係ありません。 国の経済政策はGDPに反映されやすい公共事業 などのインフラ事業に偏りがちだからです。


しかし、そもそも経済活動は民間が主体でなければなりません。



国の支援のもとに成り立つような経済活動は、本物ではないのではないでしょうか?


民間が自発的に取り組み、結果を生み出すものでないと本当の意味での景気回復とは言えないのです。


いかがでしたか?


福音派は経済と密接に関係しているのではないでしょうか? 

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当ブログでも、トランプ大統領と福音派との関係の記事を結構書いてきたんで、、


もう少し、福音派の投票行動について把握しておかないとと思って、、



アメリカを代表する福音派メディアクリスチャニティートゥディ

によると、、まず福音派の60%を占める白人層では、80%がトランプに投票しているそうですね。


そして残りの40%を占める白人以外の福音派の人たちの多くが、ヒラリークリントン候補に投票したそうです。



以上です。。



つまるところ、福音派でも人種によって投票行動にきれいに違いが出てるんですね。



だから、福音派はトランプを支持した。とは一概に言えないんですね。



宗教的な問題よりも、人種的な問題が投票行動に結びついていると言えそうです。





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クリスチャンって〇〇してはいけない。


〇〇しなくてはいけない。


礼拝に参加しなくてはいけない。



献金しなくてはいけない。。



婚前交渉してはいけない。。。


悪口を言ってはいけない。。




なんて、結構うるさいんですよ。



それで、結構これが出来なかったりするわけですね。



それで、できなくて自分を責め始めるんです。



これ、クリスチャンだったら、誰でも経験あるのではないでしょうか?



自分を責めて、


本当に救われているんだろうか?とか思い始める。



自分なんかダメ!!!!


という感じで、次第に教会になんか、自分のようなものが行くところではない。


そして、


キリストなんてほんとにいるんだろうか?


そのうち、キリストを信じられなくなり、THE END。




こういうパターン。




って、これはまさに、私のことです。



自分で言うのはおかしいんですが、



自分ってまじめなんですよ。



聖書って、一見確かに、



決まりのようなことばかり書いてある気がして、



真面目だから、一生懸命それを守ろうとする。



でも、必ずできない。


まじで。出来ない。


当然自分を裁き始める。



こんなことの繰り返しでした。



キリストを信じても、何にも喜びなんてありませんでした。




私も、よーーーーーーーやく、聖書を何回か通読してみて、



ちょっと、考え方が変わってきました。



そのあたりのことを今日は書きたいと思います。




一つ目は、、


まず、主の祈りってのがあります。



クリスチャンなら必ず知ってるはずの基本中の基本の祈りで、



キリストが、キリストを信じるクリスチャンに模範的な祈り方として示されたものです。



主の祈りの中に、


私たちの負い目(罪)をお赦しください。

とあります。


そして、このフレーズの直前には、


私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。


ということは、この祈りは毎日祈るように薦められているものであることがわかりますね。




毎日、「罪をお赦しください。」と祈りなさい。ってことです。



すなわち、ようするに、



もう毎日のように罪を犯すことを、神様、キリストは完全にお見通しということ。



罪を犯して、当たり前。ってことです。



別に罪を犯すことは構わない。でも謝ってねと。



謝れば赦して頂けるんですよね。



そして二つ目。


ダビデ王。



イスラエルを空前の繁栄へと導き、世界史の教科書にも出てくる実在の人物です。



今でも、クリスチャンの間では偉大な信仰者として尊敬されている人物でもありますし、欧米ではデビッドとか、
ダビとか、ダビデ由来の名前が今でも多いのはその証です。



彼も、罪を犯しました。



人の奥さんを横取りして、子供を孕ませた。しかもその夫を殺した。。


現代の常識からして、本当に悪いことだと感じますが、



まあ、絶大な権力者であったダビデはなんでも許される立場でしたから、これは別に咎められるほどのことではなかった。権力者にとっては常識の範疇でしたが。



これでも、ダビデは偉大な信仰者なんですよね。


なぜ、こんなのでも、偉大なんでしょうか?



ダビデは、このことを、あとから指摘され、それを素直に受け入れたんですね。



そして、神様の前に本当に謝った。




ここなんです。



何か、偉大な業績を挙げただけでは、ここまで尊敬されることはありませんでした。



そして、ダビデは、赦され、より神様を慕いながら歩んでいきました。益々神様に信頼して歩んでいった。




ここなんです。決して自分を責め、自分をさばき、神様から離れることはなかったんです。




実は、罪を犯さないよりも、ここが最も大事なところだと思うんです。



聖書には悪い例もたくさん出てきます。



イスラエル人たちは、決してダビデ王のようではありませんでした。



神様を忘れ、離れてしまいました。



そして、結果として、戦争に巻き込まれたり、戦争にも敗北したり、結局自分で自分の首を絞めることになりました。





罪を犯すことはやむ負えません。これが人間の現実の姿です。



そして、三つ目。。。




だから、キリストは十字架に架かり人間のすべての罪、過去の罪から未来の罪に至るすべての罪の身代わりとなって死んでくださいました。



だから、罪を犯したなと思ったら、このキリストを思い出したいんです。このキリストの偉大すぎるクレイジー過ぎる業績をいやでも実感できるんです。



それでも、私は、のど元過ぎれば熱さ忘れるってやつで、、




またしばらくすると罪を犯す。



そして、キリストを思い出す。



一生この繰り返しかもしれません。



でも、この繰り返すなかで、ゆっくりゆっくり、成長していきます。




ダビデも、この繰り返しでした。しかし、



晩年になって、次のようなエピソードが聖書に書かれています。

 ダビデ王は年がすすんで老い、夜着を着せても暖まらなかったので、 
2 その家来たちは彼に言った、「王わが主のために、ひとりの若いおとめを捜し求めて王にはべらせ、王の付添いとし、あなたのふところに寝て、王わが主を暖めさせましょう」。 
3 そして彼らはあまねくイスラエルの領土に美しいおとめを捜し求めて、シュナミびとアビシャグを得、王のもとに連れてきた。 
4 おとめは非常に美しく、王の付添いとなって王に仕えたが、王は彼女を知ることがなかった。 


ただ、性欲がなくなっただけだったら、敢えてこんなこと書かないと思うんですよね。


実際、老人でも性欲はあるようですし。。。



ダビデは何度も何度も、神の赦しを体験し、人間的に成長していき、罪を犯さなくなっていったんですね。




人間が、本当に更生していける唯一の道はこれしかないと思います。。



赦しです。一回や二回ではありません。赦され続けることです。


そして、キリストを信じ慕い続けることです。決して離れることのない人生しかありません。


こういうところが、聖書って好きなんですよね。。



こんなキリストには降伏するしかありません。


、またあの曲が聞きたくなりました。。



今日は、この曲で終わりたいと思います。。。。。



Lembro quando te encontrei
あなた(キリスト)と会ったときのことを思い出します。

Tudo novo você fez
すべてが新しくなりました。
Os abraços que senti
あなたの御腕は
Me fizeram prosseguir
私を育みました。
Várias vezes eu caí
何度も失敗したけど、、
E você me levantou
あなたは私を支え、
Eu achava estar bem
やすらぎを覚えました。
Mas me rendo
しかし、、私は降伏します。

Eu me rendo
私は降伏します。
Eu me rendo
私は降伏します。
Eu me rendo a ti
私は降伏します。あなたに。
Eu me rendo
私は降伏します。
Eu me rendo
私は降伏します。
Eu me rendo a ti
私は降伏します。あなたに。
Toca em mim de novo
もう一度来てください。
Enche-me de novo
もう一度満たして下さい。
Eu não me vejo
あなたが見えません。
Sem tua presença
あなたはどこですか?
Toca em mim de novo
もう一度来てください。
Enche-me de novo
もう一度満たして下さい。
Eu não me vejo
あなたが見えません。
Sem tua presença
あなたはどこですか?













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素朴な疑問なんですが、、



聖書ってなんで「聖書」って言うんでしょうか??




英語ではBIBLEですが、これを直訳すれば「本」です。



本の中の本ということです。



もちろん、英語でも「Holy Bible」なんて言い方もしますから、「聖書」でもいいのかもしれませんが。




聖書って言う響きかれ連想できるものは、



美しい話の集大成見たいな感じですよね。



違いますか?



確かに、



愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への手紙I 13:4〜8)


なんて、美しい文章もあります。



しかし、




聖書を少しでも読んだことがあれば、すぐにわかることですが、





ダメ人間がいっぱい登場してくるんです。




例えば、サムソン。




サムソンは、めちゃくちゃ怪力で一人で何十人も何百人をもやっつけることが出来る怪力の持ち主でしたが。





かわいこちゃんには弱かった。



女性をすぐに好きになっちゃう。




(好きになった女性がかわいかったかどうかは聖書を読む限りわかりませんが、、。)



何人の女性にひっかかったかわかりません。



デリラという女性には、自分の力の秘密をばらしてしまい、




それがきっかけで敵にひどい目にあうんですけど。




そして、こんな人もいました。



ある人が、愛人をつくったんだけど、どうも互いに仲が悪かったようで、


愛人は家を出て実家に帰ってしまいました。



この人は愛人の実家に出向いて、もう一度やり直そうとします。



実家では、どういうわけか、愛人のお父さんに歓迎されます。



そして、再び愛人をつれて実家を離れ、自分の家に戻るべく旅を始めます。




途中日が暮れて、野良仕事帰りの老人に招かれて泊まることになりました。



そこに、町のチンピラが突然襲ってきました。



チンピラは泊まっている男を出すように老人に迫りましたが、老人は代わりに



彼の愛人を差し出しました。チンピラたちはこの愛人を暴行しました。



朝があけ、その男は暴行された愛人を見つけると、すぐロバに乗せ家路を急ぎました。


愛人は既に死んでおり、



なんと、この男



その遺体を12の部分に切り分け、自分の国(イスラエル)中に送りつけたというのです。





これを見た人々は、殺した連中のいる地域(ギブア)に報復しようとします。



しかし、どういうわけか国の中のベニヤミン族だけは、ギブアに味方し、国が真っ二つに分かれた内戦状態に



なってしまいました。最終的にベニヤミン部族は破れ、国内に大きな禍根を残すことになります。



立派な人もいました。その代表格のひとりはあの有名なダビデ王です。


しかしダビデ王にも、弱さがありました。




家臣ウリヤの妻であるバテ・シェバという女性の水浴びをする姿に心奪われ、ウリヤを戦いの最前線に敢えて送り戦死させ、自分のものとしてしまいました。




こんな感じです。



こんなどいつもこいつもダメな人間たちに、神様はどう関われたのか


というのが、聖書の大きなテーマだと思います。




何か、高尚な哲学や、神様からの上から目線的な戒律が並べたてられているイメージがあるやもしれませんが、



まったく違います。






それで、本題。



わたしは子供の時から、教会に通って、聖書の話は「腐るほど」聞いてきました。




でも、あんまり、聖書の中に出てくる人間がダメだという印象がなかったんです。




ダビデの話もありましたが、



どちらかというと勇敢に敵と戦い連戦連勝した武勇伝めいた話をたくさん聞いた記憶が残ってるんです。




バテシェバとの不倫の話も知ってはいたんですげど、印象として薄いんですね。




こんなドロドロの愛憎劇を子供に聞かせることに抵抗を覚えるのはわかるんですが、




少なくとも、



中学生になったら、どんどんしたほうがいいと思います。



いい話しか聞いていないとやっぱり興味が湧かないんですよね。



学校でも道徳の時間ってあったと思うんですけど、



なんかつまんなくなかったですか?



人間って、悪い話のほうに興味そそられるのではないでしょうか?



だからワイドショーはいつの時代にも視聴率を稼げる。。。。。気がします。




それと、聖書とかキリスト教に対して、どこか敷居の高さを感じ始めちゃうと思うんです。



何か、自分とは違うすごい人たちの話になってしまって、興味が薄れるんです。




でも、よく読むと、



あかん奴ばっかりやん!!自分と同じような。。

こんなダメ人間も、実によくかかわってくださり、なんとか救い出そうとされた神様について



書かれてるんですね。人の武勇伝ではない。




きょう書いた話は全て旧約聖書に出てくる話です。



旧約聖書は、どこか厳しい神さまについて描いているっていうイメージをクリスチャンでも持っている方がおられ、どこかとっつきにくいとお考えの方もおられるようですが、



違います。。





























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ところで、、、。


フランスでは3日ごとに新しい福音派の教会が誕生しているらしいんですが、このことを書こうと思ったら、


既にクリスチャントゥデイさんが記事にされてましたね。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/23068/20170122/french-evangelicals-a-new-church-every-10-days.htm


トウデイさんの記事に付け加えておくとすれば、


教会の規模も大きくなってきているようですね。



例えば、

Lille Métropole教会は座席数が800から2,000に増えたらしいです。。


さすが、おフランス。。英語ページはありません。


ところで、



ちなみに、



日本で人数の多い教会で有名な淀橋教会は、


収容人数1,300人だそうです。礼拝出席者は約300人だそうですね。




それを考えると、フランスの福音派は日本の福音派を既に上回っていますね。。



フランスでは65万人ほど福音派さんがいるらしいですが、60年前には6万5000人しかいなかった
らしいから、着実に増えてるんですね。

ちなみにちなみに、(今日は「ちなみに」をよく使うなあ~)

日本では微減らしいんです。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/13796/20140805/shukyo-nenkan.htm


なぜフランスでは増えてるのか、、知りたくなってきたんで、


わかったら記事にします。


さて、本題です。


スペイン政府の最新の調査によりますと、



スペインでは現在約4,000の福音派教会があるとのことです。



そして2016年の一年間で141の教会が新たに誕生しました。


ということは毎月だいたい12教会。ということは2.5日に1教会。ということは60時間に1教会出来ることになります。


ちなみに、、(またでました。。)

スペイン国内での少数派宗教を見てみると、ムスリム寺院は1,508、エホバさんが650、東方正教会が197、そして仏教のお寺が155。



ってか、スペインにお寺が155もあるってちょっと驚きです。。

スペインのお寺って、どんな感じなんだろうと思ったら、こんなブログがありました。

東南アジアっぽいですね。。


ということで、福音派は結構いることになりますね。スペインでは。




スペインはやはりカトリック信者さんが多くて、人口の約69%だそうです。。



が、、


2006年には77%だったらしいから、急激に減ってるんですね。




そして、無神論者さんが、この10年で6%から9%に増えているみたいです。



18~34歳の若年層では約半分が無神論者だとしてるそうですね。



今日は、この辺で。。ちゃお!





画像&引用:EVANGELICAL FOCUS
http://evangelicalfocus.com/europe/2225/In_Spain_12_evangelical_churches_are_opened_every_month



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