このシリーズも第3回に入りました。前回は、落ち目になったオスマン帝国がヨーロッパのシステムそして文化芸術も帝国内に浸透していったことを見てきました。
オスマン帝国のジリ貧状態の真っ只中の19世紀、ヨーロッパとイスラム諸国との交流は活発化します。
そしてイスラミックアートの存在が徐々にヨーロッパの展覧会などを通して浸透しました。
イスラミックアートの中でも、特にペルシャ芸術がトルコやアラブ以上に人気を博しました。
ペルシャはもともとアーリア人と呼ばれた人たちの地で、
ヨーロッパと同じインド・ヨーロッパ語圏に属しています。
文化的な共通点があったからなのでしょうか?
ペルシャ芸術はエキゾチックで風変わりな存在から、
最高傑作の芸術作品として認められました。
正直、なんでペルシャ芸術が特にもてはやされたのか?
定かではありません。ですが、
事実として多くのヨーロッパ人を引きつけたのはペルシャ芸術でした。
ペルシャ芸術をはじめとしたイスラミックアートが
ヨーロッパ人の憧れに近い対象として影響を与えたようです。
さて、19世紀以降イスラミックアートはどうなっていくのでしょうか??
つづく
参照: カローステ・グルベンキアン美術館ホームページ https://gulbenkian.pt/museu/agenda/o-gosto-pela-arte-islamica/