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奇跡的なことですが、ここ6年ぐらいはほぼ毎日聖書を読んでいます。



でも、本当にイエスキリストを受け入れるようになって20年近く経つにも関わらず、残念ながらここ6年です。



この6年何があったか??



それは結婚です。


結婚してから6年ぐらいたちます。


これを意識しているわけではないのですが、


やはり、これは大きな理由なんだと思います。



責任感といいましょうか。。。


人は一人でいるのは良くないと聖書にありますが、


人って意外と自分のためには頑張れないのだと思います。


クリスチャンの生き方は、自己実現ではありません。


この世界はすべてイエス・キリストによって創造された。


そして、


すべてイエス・キリストのために存在している。


だから生きる目的もキリストのために生きることになります。


自由もへったくれもない感じがしなくもないですが、



キリストは「愛」そのものですから、キリストのために生きるとは、窮屈どころか、


わたしが最大限生かされる生き方に他なりません。



誰でも自分のことは知っているようで知らないのではないでしょうか?



でもすべてのものを創造されたキリストは、よく知っています。製作者なのですから・・!!



だからキリストのために生きるとは、結果として自己実現以上のエキサイティングな生き方になります。



では、具体的にキリストに従うとはどういうことでしょうか?



それは、キリストにすべてを明け渡すこと。人生のハンドルをキリストに握ってもらうことです。。


自分の体を神様にささげなさい。。・・・そして自分をキリストに作り替えてもらいなさい。
ローマ人への手紙12章1~2節  リビングバイブルポルトガル語版


自分をすべてキリストに任せたら、作り替えてくれるというではありませんか??



そして、


わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い。マタイの福音書11章30節

軛(くびき)とは、牛に畑を耕させるときに、首にかけるくつわのようなものです。


わたしたちも、キリストにすべてお任せするときに、軛をつけられますが、それは決して窮屈ではないというのです。軽くてここちよい軛なのです。


なぜなら、キリストは愛だから、わたしたちに最善の軛をつけてくださり、心地よい使命に導き、しかも結果を出してくださるのです。



これが、キリストに従うということです。


決して苦行ではありません。楽しい道なのです。





だから、




聖書を読みたくなってくるわけですね。。そして、聖書のことばを通して行くべき道へと誘ってくださいます。



わたしも結婚して、少しは意識が芽生え、少し真剣にクリスチャンライフを考えるようになって、



いろいろ学ぶことが出来ました。



そして、聖書を読みたくて毎日読むようになったわけです。。




こんな感じです。


聖書を読むことで思いもよらないエキサイティングな人生が開けてきます。



まずは、無理なく少しづつ読んでいけばいいです。ほんと、一行からでも構わないと思います。


それでも、、なかなか毎日読めないものです。体調を崩したり、忙しかったり、そんな時は無理して読む必要はありません。


自分を責める必要はありません。

その分、翌日に読めばいいわけです。


引用&画像
ESBOÇANDO IDEIAS
https://www.esbocandoideias.com/2016/12/dicas-simples-para-ler-biblia-orar.html