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結論から申し上げます。



素人でも、国際情勢を理解するための力を養う。
メディアの情報、論調に左右されるのではなく
自分自身で理解し判断出来る力を養成するため
ブログを綴っていきたいと思います。



この記事を書いて気づいたことがあります。 
キリスト教には普遍性と国際性があります。


普遍性とは地域や国、そして時間をも超越する性質です。


キリスト教はその前身ユダヤ教の時代から5000年、いや
それ以上の時間を生き延びて未だに多くの人々に影響を
与え続け、全世界約20億人に信仰されています。 

普遍性や国際性のあるキリスト教は、国、国家を超越して
います。これが国際情勢を把握するに当たって非常に
重要なのではないかと気づいたんです。

私たちは国際ニュースを通して海外の今を理解します。
しかし、メディアからのニュースはどうしても恣意的
になってしまうのではないでしょうか?

独裁国家からのニュースはご存知の通り恣意的です。
客観性は殆どないと言っても過言ではありません。
しかし、民主国家のメディアはどうでしょうか。報道
の自由が保証されているのは事実ですが、それぞれ
国家に所属している限り、その国家の影響を受けざるを
得ません。その国家に明らかに不利になるような
論調には成りにくくなります。


例えば、北朝鮮について、日本では各メディア核武装は
怪しからんという論調になります。 これはどうしても
しょうがありません。非核国の日本のお隣の国が核武装
されては困ってしまうからです。

しかし、どうでしょうか?北朝鮮は朝鮮戦争で壊滅的打撃
を受けました。朝鮮半島は大国の都合で分断されてしまい
ました。中国やロシアが後ろ盾になっているとは言いますが、
日米安全保障条約のような条約があるわけでは
ありません。やはり核に頼るしかないとなるのは真っ当な
考え方であるとも言えます。

国家の枠をそう簡単には超越できないのです。これはやむを
得ません。人はそれぞれ国家に所属します。ですから、客観的
に公正に社会を見るのは非常に難しいのです。


そして私はこう思います。


もしかしたらキリスト教に国家を超越出来る可能性があるのでは
ないか?

キリスト教徒、クリスチャンはイエス・キリストに頼っています。
究極的にはです。国家には頼っていません。ですから国家の恣意性
から解放されうる可能性があることになります。


これが国際情勢を俯瞰する上で極めて重要であると考えます。
人はどうしてもそれぞれの国家の都合、事情という有形無形
の恣意、主観に強い影響を受けざるを得ません。しかし、残念
ながら、これでは国際情勢を客観的に冷静に理解することは
難しいと思います。これが国家の恣意から解放されることが
必要だと考える理由です。

私は、東京基督教大学神学部国際キリスト教学科を卒業しております。
ですから使命感を感じています。
是非、このテーマにチャレンジしていきたいと思います。


まず手始めに
そのひとつの実験としてまず北朝鮮情勢を見ていきたいと思っています。

宜しければお付き合い下さい。