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週末ですから、、これからの時代の「弱さ」について考えませんか?植松聖さんって時代遅れですよ!

を先週金曜日に投稿致しまして、大反響!!


といきたかったんですが、今のところあまり反応がありません。


人間の歴史は「弱さ」を克服しようという歴史だったのかもしれません。


アドルフ・ヒトラーは、


人の価値を「優秀さ」に見出そうとしたいわゆる「優生思想」の名のもとに、


ドイツ民族を遺伝的に進化させるために障害者は「生きるに値しない」として、抹殺していきました。


植松聖さんは、自分にヒトラーの思想が下りてきたと語ったと言われています。(ハフィントンポスト記事参照


そして、


「ずっと車いすに縛られて暮らすことが幸せなのか。周りを不幸にする。最近急にそう思うようになった」



とも話しています。



健常者にとって、障害者と接することは必ずしも快適なことではありません。



自分とはペースが違う人に対して、どうしてもいらついてしまうものです。



やまゆり園で働いていた植松さんも、このような思いを何度となく経験したのだろうことは、



容易に推察できます。



だから、私も植松さんを決して裁くことは出来ないのではないかと思うわけです。



わたしにも、優生思想を生み出しかねない兆候は決してないとはいえないのです。




優生思想につっぱしったヒトラーは、



自殺しました。そして、



彼の率いたナチス政権は戦争に敗れ消滅。



ナチス政権下にあったドイツは荒廃し傷つけられ、今でも過去の呪縛に引きずられている部分があります。



私たちは、ナチスを反面教師としなくてはならないのではないでしょうか。



合理性を追求する先に何があるのか?


利便性の行きつく先に何があるのか?


優秀さがもたらすものとは一体何なのか?



私は思います。


障害者こそ、平和の番人なのではないか?



健常者はついつい力任せに利便性を追求しがちです。



そして、利便性のないものに価値を感じなくなくなってしまう。



切り捨てが始まる。



しかし、そのような社会はどうなるのか?


ナチスの運命がそれを明らかにしてくれています。


そんな健常者の暴走を、障害者の皆さんの存在が歯止めをかけてくれるのではないか?


障害者の皆さんの生き様を通して、大事なものを気づかせてくれるのではないか?


障害者の皆さんを通して、幸せとは何のかを気づくことが出来るのではないか?



障害者の皆さんの存在価値はここにあるのではないかと。



聖書のテモテへの手紙第一4章4節には、

神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。



健常者には健常者の役割があるでしょう。そして障害者にも大事な役割があることを



忘れてはいけないと思います。


今、日本は高齢化社会にすでに突入しています。


高齢者の方々も障害者の皆さん同様、利便性や合理性の犠牲になりかねない立場かもしれません。


でも裏を返せば、



大事なことに気づきやすい世の中になってきているんです。



そして、障害者や高齢者に益々チャンスが訪れる時代になっていくのではないか?



と感じています。知りたい方は、



週末ですから、、これからの時代の「弱さ」について考えませんか?植松聖さんって時代遅れですよ!



をご覧ください。


それでは、ちゃお!

参照:
メンタルのサプリ
http://good--influence.blog.so-net.ne.jp/2016-07-29
いこいのみぎわ
http://blog.goo.ne.jp/fukuoka_ohori/e/0912465c00151f8ab39ea31454056989