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李禹煥(リー・ウーファン)

世界的な「もの派」の巨匠です。


木や石などの自然素材、紙や鉄材などニュートラルな素材をほぼ未加工のまま提示することにこだわるご霹靂です。

瀬戸内海に浮かぶ芸術の島、直島にある李禹煥美術館を訪ねました。

入口に至る吹き抜けの回廊には、ただ粘土を指でなぞっただけの、とても作品とは思えない作品が掲げられ、館内にもただ大きな石が置いてあるだけです。

一体何なの?



頭に何個もクエスチョンマークを抱えたまま、美術館を後にするしかありませんでした。


これでアートといえるのか?金返せ❗と思わず呟き
たくなる気持ちを抑えながらバスに乗り込みました。


もう1ヶ月近く経過しますが、このモヤモヤ感は、なかなか自分の意識から消えず、ふとしたきっかけで、思いだしたりします。


今日、またふと思いだし、そして今日は、あることが閃きました。

もしかしたら、こんな私の状態こそ、李禹煥の意図なのではないのかと。。



世の中には、わからないこと。人間には分からないことが存在するのだということなのではないかと。


人間は、分からないことがあればなんとか理解しようとします。


それでも分からないことは、無意味なこととして、意識から抹殺しようとします。


あの大きな石もよくわからない。でも確かに存在しています。


実は世の中には、自分の理解をはるかに越えるもの、出来事に満ち溢れています。。


それらは、私の意思とは関係なく、厳然と存在し、そして厳然と発生しています。


恐ろしいことも。戦争、災害。とか。


人間は、理解出来ないことに耐えられません。




だからでしょうか。都会には、人間に理解できるもので満ち溢れています。



しかし、そんな都会には、問題が山積しています。空しさが漂っています。


李禹煥は、そんな人間社会に警鐘を鳴らしているのではないか。


理解出来ないことにも意味があることを。


理解出来ないことを排除してはいけないことを。



芸術には人の心を変える力があります。