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レイプ、痴漢への対策として、すでに様々な取り組みがなされています。


しかし、依然として無くなる気配はありません。


殺人事件はニュースの見出しに登場してきますが、


レイプはそこまで取り上げられません。よっぽど有名人が加害者であれば別ですが。



殺人とは、他人を殺めること。


自殺とは、自分を殺めること。


ですから、自殺も殺人とすべきなのです。


そしてある意味、自殺というのは殺人よりもタチが悪い。



なぜなら、加害者自身(自殺者自身)が死んでしまって、加害者自身が罪の自責に駆られることがないからです。


少しキリスト教的にいえば、自分の罪を悔い改めるチャンスすらない。


もちろん、死後どうなるのかわかりません。もしかしたら、死後に何らかのしかるべきチャンスがあるのかもしれませんが、はっきりしません。全くない可能性もあります。



加害者が悔い改めるという、一見あまり意味のあることとは思えない行為は、


実は被害者の家族への慰めにつながります。心からの悔い改めは有益なのです。


ごめんなさい。レイプ、性犯罪についての話なのですが、前置きが長くなりました。



ところで、レイプですが、


これは、精神的な殺人ではないのかと思います。人格の殺人でもいいかもしれません。


人間は物質ではありません。心がある。魂がある。


良いこともできるし、悪いこともできる。



これこそ人間の尊厳だと思います。



レイプというのは、人間の尊厳を無視して、人間をあたかも物質のようにあつかう行為です。



物質として扱われた人は、その人格が破壊されます。



実際、レイプ被害で人格が大きく変わってしまった人はたくさんいます。


レイプによって人格が殺されるのです。



だから、




レイプとは本質的には殺人です。



まずは、レイプは殺人であることを、少なくとも頭の片隅にでも入れていただきたいと思います。


まっ、ちょっとぐらいいっか!なんて軽い気持ちでできるような行為では断じてないわけです。


これが理解できれば、レイプは無くなっていく。。


実はそんな甘いものでは残念ながらありません。



これが人間の本性。人間は不完全です。


いくら頭で理解しても、行動に移すことはなかなかできません。不完全ですから。


こんな不完全な人間はそれでは、一体どうすればいいのでしょうか?


レイプよりも快感なことを見つけること。。だと思います。


性的欲望に優る快感。。ちょっと想像がつきません。


それぐらい欲望というものは強い。



でも、、、、、性的な快感というものは一時的です。続かない。


虚しさだって伴うこともある。


それでは一時的な性的な快感に優るものとは、永続性がある何かでしょうか。


そんなものはあるのでしょうか?


覚せい剤でしょうか?麻薬でしょうか?


いやいや、これも一時的快楽です。


ちょっと思い当たりません。続くもの。永続性のあるもの。。



こんなものがあれば、もうとっくにレイプなんてなくなってるでしょ!!


そうなんです。結局ないんですよ。残念ながら。


じゃあ、諦めるしかない。もう人間にはできないことを認めるしかないんです。



人間には解決できないことを認める。。


でも、これがレイプをしないための第一歩だと思うんです。



欲望に勝てるわけがないんです。人間にはどうしようもない。



だから、神頼みしかないんです。



ここに宗教の存在価値があります。




レイプをしなくてもいい。そのための答え、本当に役に立つ答えを持ち得ない宗教であれば、



無くなればいいんです。それはマガイ物です。



宗教は過去の遺物ではありません。



聖書はいいます。



「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。」



聖書はいいます。


「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。」



この世界を創造し、人間も作ったのだから、誰よりもこの世界のことを熟知し、人間のことも熟知している。


そしてこの世界を今でもこれからも未来永劫コントロールする。だから、もう全てを神さまにささげなさい。自分の力に頼るのをやめなさい。。死になさい!!



ということです。


クリスチャンになると、バプテスマを受けます。これは水中に少しの時間自分の体を沈める儀式ですけれど、これは死ぬことを表しています。




自分がしんじゃったら、どうやって生きていくの!



大丈夫です。。神様が、イエス・キリスト様が生きてくれます。



自分の中に住んでくださいます。


聖書はいいます。



「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2章20節)



これが信じるということです。信じたらキリストが生きてくださる。



信じるとはとてもとても意義深いことなんです。ダメな自分からさよならできるからです。


キリストが代わりに生きてくださるというのは、どういうことになっていくんでしょうか?


聖書はいいます。

「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない」(イザヤ書43章2節)

 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。


 「
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。


こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。


だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
 


ここまでかかれると、にわかに信じがたくなっちゃいますよね。。実際、私も、火の中を歩いたことがないのでわかりませんが、、


でも、キリストが生きてくださる人生はまあ、それはそれは気持ちいいですよ。

必要なものはくださるし、、

この快感を味わうしか、解決の道はないと思いますけどね〜。


もし、これ以外の答えを提示できないのであれば、信じるべきです。

科学の力でレイプを無くせるのであれば是非教えてください。