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フェイスブックを何気なく見ていて、現代ビジネスのこちらの記事が目に留まった。


まったくモテない男が「自己啓発本」を読んでたどり着いた結末


この文章を読んで、「男性問題」という言葉に出くわした。


女性問題とはよく聞いたものだが、男性問題とは、はた聞いたことがなかった。

ググって見ると、なんと男性問題に関連するページは4千700万件に上ることが分かった。



男性問題とは、どうも男性に関する女性の悩みではなく、男性自身が悩む問題のようだ。



男性問題とは、一言で言うと、「男は稼いでなんぼ」なんだけれども、これが実に難しくなってきているところから


発生してきている男の葛藤のことらしい。




多くの現代人にとっての幸せはといえば、


経済的に安定した生活を送り、老後は悠々自適な生活を送る



ことなのかもしれない。


そのためにいい大学に入り、優良企業に就職する。


しかし、これを実現出来る人は年々減少している。



ここに男性問題の根源があるようだ。



私自身、現在フリーターである。しかも40代。



まさに男性問題に直面しまくっている。



しかし、



何の不安もない。必ず道は開けていく。と確信している。



正直こんな投稿はしたくなかった。こんな自分のことをさらけ出してまで。





いま、私がおかれている状況は、自分の弱さにも一因がある。




自分は競争が大の苦手だ。小学生のころより、徒競走ではビリ、良くてもビリ2かビリ3だった。別に足が遅いわけではなかった。だが、スタートがとにかく下手くそで、その時点で不利になってしまっていた。



普段の成績は悪くはなかった。 上の下ぐらいだったと思う。



しかし、高校入試、大学入試はことごとく失敗した。



兎に角、勝負事に弱い。のである。心の弱さ。プレッシャーに弱いのだろう。



私は、幼稚園のころより、キリスト教会に通っていた。母親がクリスチャンだったからである。



小学生になると、父親もなぜか、クリスチャンになり 益々教会に入り浸るになった。


教会には優しいお兄さんやお姉さん、そしてかわいい女の子がいて楽しかった。



しかし、肝心のイエス・キリストには全く関心がなかった。


ここ日本では宗教は意味を持たない。バカにされている。



教会へ行っていることで、学校ではアーメン、ソーメン、ヒヤソーメンなんてからかわれたこともあった。



そんなこともあって、私自身、キリストを信じるなんて気違いだと感じていた。



弱さは何のためにあるのか
 

しかし、前述のとおり、成長するにつれ、自分自身の弱さに直面するようになった。



一応、中堅の情報機器関連商社に就職したものの、仕事は出来なかった。



女性にもモテなかった。



生きる気力が失われつつあった。



そんなとき、昔から聞いていたイエス・キリストに微かな望みを抱き始めた。



気づいたらキリスト教書店に足が向いていた。


そこで、平野耕一という人の


これだけは知ってもらいたい 平野耕一 プリズム社


という本に出合った。


ただ信じるだけでいいとは、何千回と聞いたフレーズだったが、


なぜか、生れてはじめて、受け入れることが出来た。



元外務省主任分析官で作家の佐藤優さんによると、

「私は優れている。今日も試合に出れば絶対にホームランだ」と思っている人のところを、啓示は迂回していきます。


キリスト教は啓示だと言われている。実は宗教ではない。


啓示とは、冒頭の図で表しているが、再度掲載する。
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啓示とは人間の外側から与えられるものであって、人間が生み出せうるものではない。

では一体、だれが生み出したのか?


神が生み出したもの。



私は、自分自身の弱さを通して、自分に絶望することが出来たことによって、啓示が私のところにようやく来てく



れたのだと理解している。



キリストが私の身代わりとなって十字架で死んでくださったことによって救われるという啓示がようやく


私のところに来てくれた。



弱さによって、救われたのである。



旧約聖書のイザヤ書48章には、

わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く


20世紀を代表するキリスト教神学者であるカール・バルトは、


恵みとは、人間が何かをすることができる、また、するべきであるということでもなければ、何もできないしすべきでないということでもない。恵みとは神が何かをすることである。


とする。



ちなみにカールバルトはナチスドイツに対抗し日本を代表する哲学者西田幾多郎にも影響を与えたと言われて



いるほど、多くを成し遂げた人物であるがゆえに、上の記述には説得力がある。



キリストの啓示を受けた者は、恵みの世界に入る。もはや自分で何か成し遂げる必要はない。する必要はない。




主が成し遂げてくださるから。自分自身の人生を通して主が成し遂げてくださるから。


弱さによって、何と素晴らしい人生へと導かれたのであろうか!!



だから私には不安がない。恐れがない。


いま、俳優の成宮寛貴さんが芸能界を引退するニュースが飛び込んできた。



心から信頼していた友人に裏切られ、複数の人達が仕掛けた罠に落ちてしまいました。


引退の理由を述べている。




このような時にどうすればいいのか?



同じような経験は誰しもがあるのではないか?



人間から生み出さされるものは不完全だ。


聖書は言う。


義人はいない。ひとりもいない。


しかし、


神に生み出されたものは完全である。


神は裏切ることはしない。だから、たとえ人に裏切られようとも、絶望する必要はない。



キリストの救いを述べさせてもらった。



しかし、だからといって受け入れろというつもりはない。


というか、受け入れろと言うのはナンセンスだ。



人を救う権利、権威は私にはないからだ。



人が救われようが、救われなからろうが、知ったことではない。



神が選ばれた人のところに、啓示は降りてくる。