ぺかどおる(もと簡潔!ラテン新聞)

地球の裏側にあるブラジルから見た世界は一体どうなのか。ブラジルニュースサイトGOSPEL PRIMEの協力により翻訳記事を提供出来ることになったことがキッカケでブログ始めました。 私はポルトガル語を勉強するクリスチャンですので、ブラジルとキリスト教を通して国際政治、経済、社会を見ていきます。そして合わせて展開するポルトガル語サイトを通してわかった海外アフィリエイトのやり方もお知らせしていきます。

カテゴリ: アフリカ

エチオピアの女王カンダケの宦官が、西暦36年にキリストを受け入れてからの足取りについて、私が調べる限り、、いまのところわかりません。


ただ、少なくともその後、宦官の母国メロエ王国にキリスト教が普及していった形跡はありません。


エジプト地方では、福音書の記者マルコによって伝道活動が活発化し次第にクリスチャンが増えていきましたが、エジプトのクリスチャンの著作物にもメロエ王国でのキリスト教については何も記載されていません。


メロエ王国は引き続き異教徒国家としての歩みを続け、350年に滅亡しました。

そして、時代は6世紀まで進みます。

この時代には、かつてメロエ王国のあったスーダンとエジプトの国境付近には「ノバティア」「マコリア」「ドンゴラ」という3つの王国がありました。

これらの国々と接していた東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世は、彼らが侵入してこないように、友好関係を築こうと模索し、キリスト教の布教を開始することにしました。



皇帝ユスティニアヌス一世

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皇帝ユスティニアヌス1世にはテオドラという奥さんがいました。彼女もクリスチャンでしたが、皇帝とは異なる信仰を持っていました。。


皇后テオドラ

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当時の東ローマ帝国では、イエス・キリストについて2つの考え方がありました。


一つは、ニ性一人格論と呼ばれる考え方です。これは、

キリストは100%神であって、100%人であるというもの。

100%神で100%人なんて理屈ではありえないんですけどね。


この考え方は、現在のローマ・カトリックやプロテスタントで受け入れられています。私もこの考え方ですね。


ここが、キリスト教のおもしろいところだと思ってます!!!


ありえないから、これはやはり人間が生み出したものではなくて、


神様がお考えになって人間に下さったものなんだと私は理解しています。。


もうひとつは、単性論という考え方です。


これはキリストには人間と神が混じり合っているとするもの。


人間+神=イエス・キリスト


というように数式化できる考え方です。


このほうが、すっきりしませんか?


これありえる話です。でもありえるからこれは結局人間が考えたものなんじゃないかと思うんですよ。。


まあ、私にはどちらが正しいかなんて言う資格はありません。神様が決めることです。私にはわかりません。。が二性一人格論を信じています。そのほうが個人的にはしっくりくるから。。


ところで、ところで、皇帝ユスティニアヌス1世はニ性一人格論者でした。ですが、奥さんのテオドラさんは単性論者だったんです。


このテオドラさんは、女傑として知られています。もともとサーカス使いで娼婦まがいのことをしながら生計を立てていましたが、皇后にまで登りつめたからです。。豊臣秀吉みたいですね。。

テオドラさんは旦那が、ニ性一人格論を布教するのがいやでいやでしょうがありませんでした。


そこで、夫より先に、隠れてジュリアーノという使者を送ることにしたんですね。


ジュリアーノは、ノバディア王国の王に単性論でキリスト教を伝え、見事王様を改宗させることに成功しました。。


そのあとすぐに、皇帝の使いも到着しましたが、、あとの祭りだったということです。


この単性論の考え方をする人たちはコプト派と言われていますが、現在エチオピアや南エジプトなどにコプト教信者が多い理由はこの夫婦のいさかいだったんですね。。

引用:alem-mar.org
http://www.alem-mar.org/cgi-bin/quickregister/scripts/redirect.cgi?redirect=EEuklVVVFAaBytZClF 

画像:パブリックドメイン



Mark_Evangelist



ブログを更新し始めて、9か月ほど経ちました。



クリスチャンとしという視点をベースにしてきましたが、


まず自分自身がいろいろと学ぶことが出来ました。そして日本では情報が乏しいキリスト教の視点は


やはり、とても価値のあるものだと思います。世界には20億ものクリスチャンがいるからです。






日々世界とのつながりが強まっていくいま、この取り組みを今後も続けていくべく、さらに内容を深化させる意味



においてもマネタイズを図っていく必要を感じています。


まずは、こちらの連載について、500円とさせていただきます。



アフリカのキリスト教史については日本語での情報がほとんどありませんのでそれだけでも価値がありますが、


歴史を紐解いていく中で、キリスト教の神髄に触れることが出来ています。。一部をこちらで公開していますのでご覧くださいませ。


内容は随時内容を更新していきます。もちろん500円で今後更新する内容もすべてご覧いただけます。




こちらにブログを書く理由も書かせていただいています。


映像作家のティノ・クオーシュさんは、

神がモーリタニアからシリアに及ぶ北アフリカで今なさっていることは、キリスト教宣教の歴史で過去に例がないことです。と、北アフリカで増え続けているクリスチャンについてこう話しています。続きは↓こちらから↓




スペイン語でのレポートです。
Avivamento se espalha pelo norte da África

Confira a matéria completa em: http://bit.ly/1WDsc7y

Notícias Gospelさんの投稿 2016年3月21日

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 エジプトの法務大臣が、「犯罪を犯すことはムハンマドを投獄することである」と発言したことによって罷免されました。法相の発言は、イスラム教やムハンマドに対する否定的な意見は全て冒涜罪とされるエジプトの状況を反映しているもので、シシ大統領の宗教的寛容政策に矛盾する結果となっています。

 そして法相罷免の翌日の14日、ヒューマンライツウォッチは、ISを嘲笑する内容のビデオを作成したことが、イスラム教の冒涜にあたるとして逮捕された4人のコプト教青年の釈放を求めました。このビデオではコーランを朗読しながらひざまずいている生徒の後ろで笑っていながら斬首を真似するような内容になっています。このビデオはクリスチャンの教師によってスマートフォンで撮影され、この教師も禁固3年の有罪判決を受けています。

 コプト教とは、紀元1世紀ごろから独自の発展を遂げたキリスト教東方教会系の一派です。

 翻訳:ICC
http://www.persecution.org/2016/03/15/human-rights-watch-to-egypt-reverse-blasphemy-conviction-of-children/






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 「預言」とかいうと、文明の発達した現代に於いてどん引きされる言葉だと思う。またどこぞの如何わしい新興宗教の類が好き好んで使いたがる言葉であるのは間違いない。私自身、聖書学者でもなく、所詮不完全な一キリスト教信仰者に過ぎないので、この手の話題を扱う際は、心して取組まないと大きく道を誤ることになる。

 ただ、聖書が他の書物と大きく違うのは、時空を超えているところだ。旧約聖書が書かれたのは紀元前の時代であり、その時から将来の救世主の到来について「預言」していた。 新約聖書でその「預言」の内容が、イエス・キリストであったことが述べられている。まさに預言が成就したのだと。しかしユダヤ教では新約聖書を認めておらず、旧約聖書での救世主の到来はまだこれから先の話だとしている。ユダヤ教からすれば、キリスト教こそ、世界最大の如何わしい新興宗教なのだ。そして、そのユダヤ教徒が多くを占める国、それがイスラエルである。このポイントは世界を理解する上で欠かせないことだ。

 イエス・キリストは日本の世界史の教科書にも登場しており、キリスト誕生以来、暦が変わり、今年は2015年目ということになる。(実際キリストの誕生した年については諸説ある。)そして暦が変わってから、ユダヤ教とキリスト教は互いに反目し合ってきた。聖書によれば、当時のユダヤ人の宗教指導者(当時は勿論まだキリスト教は存在しておらず、当時のユダヤ人にとっての宗教といえば、現在のユダヤ教)がローマ帝国総督ポンテオ・ピラトを唆し、イエスキリストを十字架に架けたとされているため、キリスト教徒はユダヤ教徒を激しく迫害してきた。

 確かにキリストの処刑にユダヤ教徒が関与したのは、聖書によれば事実であり(学問的な視点では諸説ある。)、聖書を受け入れる私としてはこれを受け入れている立場にある。しかし、キリストの死によって人類の罪の救済が実現されたとも記されており、ユダヤ教徒を責めると言うのはお門違いであると考えている。歴史を振り返る時、キリスト教側が大いに反省すべき点は実に多い。そしてユダヤ教は間違っているということも言えない。私はキリストを受け入れているが、証明している訳ではない。このブログではたびたび言及しているが、宗教というのは証明の対象とは成り得ない。RELIGIONという単語の語源はRELATION(関係)であり、論理的整合性をベースとする学問ではないからだ。

 ユダヤ教とキリスト教の抗争の歴史は現在にも暗い影を落としている。ユダヤ教徒達が国際経済に与える影響は現在でも実に大きい。これは度重なる迫害によってなかなか定住出来る土地を持てなかったユダヤ教徒達が経済力を求めた結果でもある。そしてこの経済力の打破を図ったのがヒトラーである。そして更に、IS(イスラム国)を背後で操る国々と旧約聖書にも書かせて頂いた通り、IS(イスラム国)へのイスラエルの関与の憶測だ。日本の主要メディアではこの視点は殆ど放映されないが、歴史的背景から、中東やヨーロッパではこういった憶測が渦巻いている。

 話は、旧約聖書に戻る。旧約聖書には多くの預言が記されておりそれはこの世界の終わりについても多くの預言がされている。その一つが、旧約聖書エゼキエル38章2節から描かれている。

人の子よ。メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して、言え。主なる神はこう言われる。メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。わたしはあなたを引きもどし、あなたのあごに鍵をかけて、あなたと、あなたの全ての軍勢と、馬と騎兵とを引き出す。彼らはみな武具をつけ、大盾、小盾を持ち、すべてつるぎをとる者で大軍である。ペルシャ、エチオピヤ、プテは彼らと共におり、みな盾とかぶとを持つ。・・・

太線で記したゴグについては、14節以降で、
主なる神はこう言われる、わが民イスラエルの安らかに住むその日に、あなたは立ち上がり、北の果のあなたの所からくる。・・・


と北の果てにあるとされていて、ゴグはロシアではないかという解釈が一般的である。そしてゴグは上述の通り、ペルシャやエチオピヤ、プテ、などと共におり、、となっている。ペルシャは勿論、現在のイラン、エチオピヤ
プテは北アフリカの地域(具体的な国などは諸説ある。)と理解されている。。

ロシアとイランはここ数年急接近している。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151124/k10010317251000.html

そして、アフリカで急拡大しているのがボコ・ハラムである。イギリスの経済平和研究所の最新の調査によると、世界全体のテロによる犠牲者の半数は、ボコ・ハラムとISによるものであるとされ、2014年のボコ・ハラムによる犠牲者は6684人に上り、ISによる犠牲者6073人を上回っているという。北アフリカにおけるボコハラムへの対策も浮上してくるであろう。

 エゼキエル書の預言を想起してしまうような状況に近づいている気がしてならない。エゼキエルの預言それがいつなのか、それについては神しかわからない。キリスト教がそして聖書が正しいというのはおかしな主張だと思う。それは証明されるべき学問ではなく宗教だからだ。(宗教という言葉は学問や哲学を想起させる。日本語の宗教はRELIGIONを訳した際に登場した造語であって、RELIGIONの語源であるRELATION(関係)を考慮し、個人的には宗教ではなく「絆」と訳したい。)だが、事実としてキリスト教が歴史上良くも悪くも実に多大な影響を及ぼしてきたのは受け入れざるを得ないであろう。全世界でもっともポピュラーな年号はキリストの生誕を起源とする西暦なのである。世界を理解するうえでキリスト教は必須である。

画像&引用:GOSPELPRIME
https://noticias.gospelprime.com.br/boko-haram-maior-terrorista-mundo/
参照:
https://www.worldwatchmonitor.org/2015/11/4114090/
  

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