生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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カテゴリ: ふと思いついたこと

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10年後に消えている会社/生き残っている会社


。。。。。。こういう記事をよく見かけるようになりました。



巷の本屋さんに時々行きますが、



キャリアアップ、とかライフハック的な本はところ狭しと並んでいます。


これは決して今に始まったことではありませんが、。




最近はAIとかっていう人工知能の発達によって雇用が無くなって行くっていう話よく聞きます。




これは、




自分の人生は自分で切り開いていくとすれば、、




当然ながら、




気になるトピックですね。




自分で生き残るという発想で考えていくと、




今後、成長する分野は何か?そして、



その分野に必要な能力は何か??



という流れで物事を考えていくことになることが多いのではないでしょうか?



そうすると、どうなるかわかりますか??





みんな同じようなことを始めるんですね。。



これが一つ目の落とし穴です。




こうなると、、、競争が生まれるんです。経済用語でよく言われるレッドオーシャン状態です。




競争ですから、当然勝ち負けの世界です。




競争原理というのは、一人しか幸せになりません。ちょっと極端な言い方ですが。



でも、極論ですが、理屈ではこうなります。



一人ではないにしても少なくとも、勝ち組、負け組にはわかれていくでしょう。




競争原理というのは、人間にとって幸せなメカニズムではないのではと考えます。



そして、こういう本を書いている専門家の予想は所詮予想に過ぎない。


という2つ目の落とし穴も待っています。



昨年のイギリスの国民投票やアメリカ大統領選挙では、大方の専門家の予想の逆になりました。



専門家は信じるに値するのでしょうか?人生の重要な選択を彼らの意見に任せていいのでしょうか?




わたしは、クリスチャンでよかったなあと思うことが日に日に増えています。



また、クリスチャンでよかったなあと思ったことで記事書きたいと思います。




クリスチャンは、自分で人生を切り開く必要性はなくなっています。



自分の人生を切り開く、自分よりも遥かに優れた方を知っているからです。



もちろん、イエスキリスト。



この方に自分のすべてをささげる。お任せするのがクリスチャンライフ。




この方は、自分を犠牲にしてまで十字架に掛かり、救ってくださったから。


イエスキリストを別の言葉で言い換えれば、愛だと思います。



金太郎飴のように、キリストのどの部分を切ったとしても愛が出てきます。



そんなこと私ごときのつたない文章で紹介はできませんので、一冊の本を紹介しておきます。


この本、クリスチャンでも結構嫌いな人が多いのも事実です。


ぼくはちょーおすすめなんですが。



著者のリック・ウォレンさんはアメリカの牧師で、2009年のアメリカ大統領就任式で祈りを捧げたことでも有名です。


最近では、息子さんが自殺された経験もお持ちの方です。




この本ほんとにおすすめです。クリスチャンとはなんぞやということがよくわかります。



てなわけで、愛であるキリストにお任せするんですから、


そりゃ、愛がわかるようになります。だんだん自分自身も変わってきます。



まずは、自分を愛せるようになります。



自分の個性を愛するようになります。自分の個性は何なのか?能力はなにか?に意識を向けるようになります。

そして、自分の個性に見合った働きを初めて行きます。


一人ひとり違った個性を大事にして、それを社会に活かす。


そして、、多様性に満ちた世界につながっていくのです。



お互いを大事にして共存する社会になっていく。。


キリストは約束してくださっています。



すべては私のために創られた。無駄な人、ものは何一つない。


そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6章31~33節)


これらのものとは、生きていくことに必要なもの一切です。



キリストにお任せすれば人生は保証されている。ということです。



紹介した、人生を導く5つの目的には、クリスチャンの考え方、生き方が具体的に書かれています。


人生のいろんな局面で役立ちます。


それでは今日はこの辺で!ちゃお!




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神様に従って生きるって、


従うって、



どこか窮屈な感じがしませんか?



従うって、



いいイメージが沸かない言葉ですよね。



何か自分が失われる感じで。



最近の日本でも従うことはあまり重要視されなくなっています。



体育会系でも最近は従うことよりも、自発性を重視してきていますし。




社会でも、言われたことだけをこなす人材よりも、




自分で考えて自発的に行動できることが求められています。



でも、4000年以上の歴史を紡いできた聖書は一貫して、どの時代も、



神様に従うことが人生の最善の道であり、すべてである。



神様にやれと言われたことだけやりなさい。



ということです。



それでは本題に入りましょう。



神様に従うこととは一体どういうことでしょうか?





ズバリ、



信じる



以上です。



何か、めちゃくちゃ大変なことを想像してませんでしたか?



めちゃめちゃ楽なんです。




ほんとにこれだけでいいんですか。




いいんです。



ちなみに、川平慈英さんもクリスチャンですね。wwwww



ほんとに??



はい。



キリストは十字架に掛かって死んでくださったからいいんです。


どういうことかって?



人間は自分の力では、絶対神様に従えないんです。



え、神様に従えっていったばっかじゃん。。



いったばっかです。



人間は神様に従えない。



結局、自分の幸せだけ考えて勝手なことしかできない。



こういう連中はもう死んでもらうしかないんです。ほんとは。




だから、神様は最終手段を使いました。



神様ご自身が救い主(キリスト)となって身代わりになろうと。




キリストの十字架ってこういう意味なんです。




そして、キリストは甦ってくださった。



そして、わたしが、そしてあなたが神様に従えるように助けてくださっているんです。




そう、今も生きて働いてくださっているんです。




キリストはわたしたちの代わりに責任をとって、しかも人生を手助けしてくださっている。



だから、



信じるだけでいいことになります。




どうですか?論理的でしょ?


なぜなら、神様は、あなた達が考えや行動において、神様の御心に従えるように常に活動しておられます。
ピリピ人への手紙2章13節(リビングバイブルポルトガル語版)



神様にあなたを作り変えてもらいなさい。ローマ人への手紙12章2節リビングバイブルポルトガル語版)


だから、信じるだけでよくなりました。



修行は一切必要ありません。



信じるとは、、




至れり尽くせりのイエス様にすべてを任せなさいってことです。




イエスキリストはわたしの最善を知っておられます。もちろんあなたの人生の最善もです。



なぜなら、キリストは愛そのものだからです。


あなたの才能も弱さもすべてご存じで、最も有効に才能を生かせるようにしてくださる。



ということです。


いろいろありますが、、自分の思い通りにいかないこともありますが、すべてキリストの計画のうちですから、



心配ありません。


だからすべてのことに感謝しなさいってことになるんです。




おなか減ったんで今日はこのへんで。。チャオ









 

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自己実現



とか、



夢の実現




このあたりが、今を生きる日本人の価値観ではないでしょうか?





これはなかなか出来るものではありません。




実際、これが達成出来た人は生き生きとして魅力的です。



私も大尊敬します。



これは素晴らしいです。



ですが、どんなに立派な方でも、この世界をすべて理解出来ているわけではありません。




どんな立派な方でも、夢とか目標というものは、自分の考えや価値観の中で生まれてきたものです。



まだまだ知らない世界はたくさんあるはずで、まだまだ面白いものもあるかもしれないのに、



知らないまんまで、自分の考えの中で毎日を完結していくのはもったいない。。。。。。。






聖書にサムソンという人が出てきます。



とても力の強い男だったようで、



この人の話は、1949年には「サムソンとデリラ」という有名な映画の題材にもなっていたり、



スーツケースのサムソナイトの名前の由来にもなっていますので、



世界的にはとても有名な人です。




聖書によると、このサムソンは、




生まれながらにして神に祝福されていたといいます。




そして、その怪力という才能もいかんなく発揮され、敵であったペリシテ人を大勢殺すなどの功績をあげることができました。





こんなサムソンですが、弱みもありました。





女性です。すぐに女性を好きになってしまう。




デリラという女性を好きになってしまいました。



ペリシテ人たちは、彼女を通して彼の強さの秘密を聞き出そうとしました。




サムソンもいくら大好きな女性からの申し入れとはいえ、秘密を暴露するわけにはいきません。



企業秘密を明らかにするようなものだからです。





彼はデリラにうその情報を与えます。



ペリシテ人たちは早速その情報を実行にうつしましたが、


サムソンには何の効果もありませんでした。



デリラはあきらめませんでした。食い下がります。



再度サムソンに秘密を教えてくれるよう説得します。



サムソンはまたうそを告げます。



デリラはさらに食い下がりました。





三度目の挑戦です。しかし、サムソンも負けてはいません。



うそを教えました。



デリラは寝ても覚めても秘密を教えるようしつこく食い下がるようになりました。




そして、



とうとう彼は本当の秘密である長い髪について、暴露してしまいました。




早速ペリシテ人たちはサムソンに近づき、長い髪を切り落とし、そしてサムソンの目を抉り出し、牢に連れて行きました。






勝ち誇ったペリシテ人たちは、サムソンをパーティーに余興に引っ張り出しからかいます。



しかし、サムソンの髪の毛を再び長くなっていました。




サムソンが寄り掛かった柱を力任せに押し倒すと、建物が崩れ、そこにいたペリシテ人たちは死んでしまいました。





その数は、彼が今まで殺してきた人数を上回りました。




女性にそそのかされ秘密を暴露してしまったことは、明らかに彼の弱さがもたらした災いでした。



致命的な失敗でした。




しかし、結果的にはこのことが、今までにない程の大きな結果につながったことになります。




失敗すら成功への道のきっかけとなったのです。






クリスチャンもキリストを信じることによって、サムソンと同じように祝福されています。




ですから、キリストはクリスチャン一人ひとりに与えておられる才能を豊かに用いるだけではなく、




欠点や弱さをも大きく用いてくださって、豊かな結果をもたらしてくださるのです。





神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。ローマ人への手紙8:28



いかがでしょうか?



一見うそっぽい作り話のように思えるかもしれないサムソンとデリラの物語から、こんな励ましを受け日々の生活に生かしていきるのが、クリスチャンライフです。



この物語を本当のことだと信じられる根拠はどこにあるのでしょうか?




それは聖書に書かれているということです。



なぜ聖書に書かれていることは真実なのでしょうか?



それは、



聖書を信じ受け入れ実行すると、本当にそうなるからです。



聖書を実行しても、思った通りに行かないこともあります。



でも、必ず思いもよらない結果に至ったり、想像をはるかに超える結果に導かれるからです。




これが、失敗ですら有益となるクリスチャンライフです。



いかがでしょうか?




自己実現を目指す生き方は、人間の理解や視野の中で、自分の思い通りに生きることを目指す生き方です。



弱さや失敗には否定的です。弱さを克服されなければなりません。





しかし、クリスチャンライフは、自分の思い以上のはるか素晴らしいものを味わいながら生きるエキサイティングな人生なのです。


引用
ななよみ聖書
https://nanayomi.wordpress.com/2016/02/28/samson/








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フェイスブックを何気なく見ていて、現代ビジネスのこちらの記事が目に留まった。


まったくモテない男が「自己啓発本」を読んでたどり着いた結末


この文章を読んで、「男性問題」という言葉に出くわした。


女性問題とはよく聞いたものだが、男性問題とは、はた聞いたことがなかった。

ググって見ると、なんと男性問題に関連するページは4千700万件に上ることが分かった。



男性問題とは、どうも男性に関する女性の悩みではなく、男性自身が悩む問題のようだ。



男性問題とは、一言で言うと、「男は稼いでなんぼ」なんだけれども、これが実に難しくなってきているところから


発生してきている男の葛藤のことらしい。




多くの現代人にとっての幸せはといえば、


経済的に安定した生活を送り、老後は悠々自適な生活を送る



ことなのかもしれない。


そのためにいい大学に入り、優良企業に就職する。


しかし、これを実現出来る人は年々減少している。



ここに男性問題の根源があるようだ。



私自身、現在フリーターである。しかも40代。



まさに男性問題に直面しまくっている。



しかし、



何の不安もない。必ず道は開けていく。と確信している。



正直こんな投稿はしたくなかった。こんな自分のことをさらけ出してまで。





いま、私がおかれている状況は、自分の弱さにも一因がある。




自分は競争が大の苦手だ。小学生のころより、徒競走ではビリ、良くてもビリ2かビリ3だった。別に足が遅いわけではなかった。だが、スタートがとにかく下手くそで、その時点で不利になってしまっていた。



普段の成績は悪くはなかった。 上の下ぐらいだったと思う。



しかし、高校入試、大学入試はことごとく失敗した。



兎に角、勝負事に弱い。のである。心の弱さ。プレッシャーに弱いのだろう。



私は、幼稚園のころより、キリスト教会に通っていた。母親がクリスチャンだったからである。



小学生になると、父親もなぜか、クリスチャンになり 益々教会に入り浸るになった。


教会には優しいお兄さんやお姉さん、そしてかわいい女の子がいて楽しかった。



しかし、肝心のイエス・キリストには全く関心がなかった。


ここ日本では宗教は意味を持たない。バカにされている。



教会へ行っていることで、学校ではアーメン、ソーメン、ヒヤソーメンなんてからかわれたこともあった。



そんなこともあって、私自身、キリストを信じるなんて気違いだと感じていた。



弱さは何のためにあるのか
 

しかし、前述のとおり、成長するにつれ、自分自身の弱さに直面するようになった。



一応、中堅の情報機器関連商社に就職したものの、仕事は出来なかった。



女性にもモテなかった。



生きる気力が失われつつあった。



そんなとき、昔から聞いていたイエス・キリストに微かな望みを抱き始めた。



気づいたらキリスト教書店に足が向いていた。


そこで、平野耕一という人の


これだけは知ってもらいたい 平野耕一 プリズム社


という本に出合った。


ただ信じるだけでいいとは、何千回と聞いたフレーズだったが、


なぜか、生れてはじめて、受け入れることが出来た。



元外務省主任分析官で作家の佐藤優さんによると、

「私は優れている。今日も試合に出れば絶対にホームランだ」と思っている人のところを、啓示は迂回していきます。


キリスト教は啓示だと言われている。実は宗教ではない。


啓示とは、冒頭の図で表しているが、再度掲載する。
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啓示とは人間の外側から与えられるものであって、人間が生み出せうるものではない。

では一体、だれが生み出したのか?


神が生み出したもの。



私は、自分自身の弱さを通して、自分に絶望することが出来たことによって、啓示が私のところにようやく来てく



れたのだと理解している。



キリストが私の身代わりとなって十字架で死んでくださったことによって救われるという啓示がようやく


私のところに来てくれた。



弱さによって、救われたのである。



旧約聖書のイザヤ書48章には、

わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く


20世紀を代表するキリスト教神学者であるカール・バルトは、


恵みとは、人間が何かをすることができる、また、するべきであるということでもなければ、何もできないしすべきでないということでもない。恵みとは神が何かをすることである。


とする。



ちなみにカールバルトはナチスドイツに対抗し日本を代表する哲学者西田幾多郎にも影響を与えたと言われて



いるほど、多くを成し遂げた人物であるがゆえに、上の記述には説得力がある。



キリストの啓示を受けた者は、恵みの世界に入る。もはや自分で何か成し遂げる必要はない。する必要はない。




主が成し遂げてくださるから。自分自身の人生を通して主が成し遂げてくださるから。


弱さによって、何と素晴らしい人生へと導かれたのであろうか!!



だから私には不安がない。恐れがない。


いま、俳優の成宮寛貴さんが芸能界を引退するニュースが飛び込んできた。



心から信頼していた友人に裏切られ、複数の人達が仕掛けた罠に落ちてしまいました。


引退の理由を述べている。




このような時にどうすればいいのか?



同じような経験は誰しもがあるのではないか?



人間から生み出さされるものは不完全だ。


聖書は言う。


義人はいない。ひとりもいない。


しかし、


神に生み出されたものは完全である。


神は裏切ることはしない。だから、たとえ人に裏切られようとも、絶望する必要はない。



キリストの救いを述べさせてもらった。



しかし、だからといって受け入れろというつもりはない。


というか、受け入れろと言うのはナンセンスだ。



人を救う権利、権威は私にはないからだ。



人が救われようが、救われなからろうが、知ったことではない。



神が選ばれた人のところに、啓示は降りてくる。















 

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