生活に神を

世界は辺境から変わる!

日本の片隅に生きる名もなきクリスチャンの徒然

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カテゴリ: ふと思いついたこと





冷やし甘酒が、


冷やしはまだけー


に聞こえてしょうがない


冷やしはまだ来ないん?っていう意味で、どこかの方言でありそ!!

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私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ書2章20節)


と、最近思います。感じます。確信します。


もちろん、相変わらず、この世の中を自分が生きています。自分の足で歩いています。


が、自分の心の中には、イエス・キリストがおられる。ということ。


人生の運転手がキリストに代わったということです。


キリストは愛に満ちておられるお方。


そして、


このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されている(コロサイ2章3節)



こんなイエス様が自分の内に生きて下さること素晴らしいことはありませんよね!



いろいろと自分で一生懸命考え、行動してきました。


疲れちゃいますよね。。


そして失敗もする。。。。。


でも、もうこういう人生からはお別れです。キリストが運転手だから。導いてくださるから。


どうしたら、キリストが自分の内に生きるようになるのでしょうか?


それはキリストに自分の人生、自分のすべて、自分の判断、考えも捨てて、キリストにすべてをお任せすればいいんです。





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イエスさまは、私が生まれる遥か遥か前から、私が生まれる時代、人種、性別、性格、生まれる場所、


私が生きる目的、そして毎日毎日のスケジュール、etc・・・



すべてを綿密に計画され私を創られました。。


偶然ではない。



そして、そして、


なんと、



それら計画はすべて成し遂げてくださると約束してくださっています。



神はわたしを愛してくださる!!


なんて簡単に一言で終わらせてしまうけど、




こういうことなんですよ。。




めちゃくちゃすごいでしょ!!


めちゃ緻密で具体的でしょ?




この前も愛知県の中学3年生が大阪で飛び降り自殺したけど、



自殺なんかしている場合ではない!


愛って口先だけで唱えても本当に空虚ですよね。



具体的でないと。



キリストは、決して口先だけではない!!



いたれりつくせりで完璧に具体的に私の人生をプロデュースしてくださっている。



だから、私も、



愛だ愛だと唱えるだけではなく、



具体的に、



丁寧に、



心をこめて、



行動していきたいですね。




何が出来るんだろう!!



イエス様教えてください。


普通、人は自分のために生きます。


自分の幸せのために。


そして、自分の力で生活を成り立たせようとします。



でも、クリスチャンは180度違う。



まず、自分の生活を成り立たせてくださるのは、キリスト。


だから、損得抜きにして、効率性も度返しして、


愛に生きることができます。




必ずユニークな働きが出来るはず。。


こんなライフスタイルって、稚拙な言葉では言い表せないけど、



相当ユニークで面白いと思うんですけどね。



でも、今もこんな文章書いてて、



ふと、損得考えずになんて、ほんとに大丈夫!?



なんて頭をよぎるんですね。



所詮人間なんですね。キリストではない。



でも、大丈夫です。


キリストは私に立てている計画は全て成し遂げられると約束してくださっていますから。




だから始めていきます。少しづつ、小さく。




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週末ですから、、これからの時代の「弱さ」について考えませんか?植松聖さんって時代遅れですよ!

を先週金曜日に投稿致しまして、大反響!!


といきたかったんですが、今のところあまり反応がありません。


人間の歴史は「弱さ」を克服しようという歴史だったのかもしれません。


アドルフ・ヒトラーは、


人の価値を「優秀さ」に見出そうとしたいわゆる「優生思想」の名のもとに、


ドイツ民族を遺伝的に進化させるために障害者は「生きるに値しない」として、抹殺していきました。


植松聖さんは、自分にヒトラーの思想が下りてきたと語ったと言われています。(ハフィントンポスト記事参照


そして、


「ずっと車いすに縛られて暮らすことが幸せなのか。周りを不幸にする。最近急にそう思うようになった」



とも話しています。



健常者にとって、障害者と接することは必ずしも快適なことではありません。



自分とはペースが違う人に対して、どうしてもいらついてしまうものです。



やまゆり園で働いていた植松さんも、このような思いを何度となく経験したのだろうことは、



容易に推察できます。



だから、私も植松さんを決して裁くことは出来ないのではないかと思うわけです。



わたしにも、優生思想を生み出しかねない兆候は決してないとはいえないのです。




優生思想につっぱしったヒトラーは、



自殺しました。そして、



彼の率いたナチス政権は戦争に敗れ消滅。



ナチス政権下にあったドイツは荒廃し傷つけられ、今でも過去の呪縛に引きずられている部分があります。



私たちは、ナチスを反面教師としなくてはならないのではないでしょうか。



合理性を追求する先に何があるのか?


利便性の行きつく先に何があるのか?


優秀さがもたらすものとは一体何なのか?



私は思います。


障害者こそ、平和の番人なのではないか?



健常者はついつい力任せに利便性を追求しがちです。



そして、利便性のないものに価値を感じなくなくなってしまう。



切り捨てが始まる。



しかし、そのような社会はどうなるのか?


ナチスの運命がそれを明らかにしてくれています。


そんな健常者の暴走を、障害者の皆さんの存在が歯止めをかけてくれるのではないか?


障害者の皆さんの生き様を通して、大事なものを気づかせてくれるのではないか?


障害者の皆さんを通して、幸せとは何のかを気づくことが出来るのではないか?



障害者の皆さんの存在価値はここにあるのではないかと。



聖書のテモテへの手紙第一4章4節には、

神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。



健常者には健常者の役割があるでしょう。そして障害者にも大事な役割があることを



忘れてはいけないと思います。


今、日本は高齢化社会にすでに突入しています。


高齢者の方々も障害者の皆さん同様、利便性や合理性の犠牲になりかねない立場かもしれません。


でも裏を返せば、



大事なことに気づきやすい世の中になってきているんです。



そして、障害者や高齢者に益々チャンスが訪れる時代になっていくのではないか?



と感じています。知りたい方は、



週末ですから、、これからの時代の「弱さ」について考えませんか?植松聖さんって時代遅れですよ!



をご覧ください。


それでは、ちゃお!

参照:
メンタルのサプリ
http://good--influence.blog.so-net.ne.jp/2016-07-29
いこいのみぎわ
http://blog.goo.ne.jp/fukuoka_ohori/e/0912465c00151f8ab39ea31454056989



alegria


昨日は、19人の命が奪われたあの相模原殺傷事件からちょうど半年でした。。。



この事件のことを報道で知ったときの感覚をいま思い出そうとしてるんですが、



あまり覚えてないんですね。。



なんか私は酷い人間かもしれません。




もしかしたら、自分はクリスチャンだからっていうのもあるかもしれません。



所詮人間なんて罪びとだから、みたいな。。。



こういう事件のときに、




結構、冷静に受け止められる気がします。



あの事件のときも、そういう気持ちだったのかもしれません。




ところで、



時代は、



AI(人工知能)時代に突入しようとしていますね。。。




すいません。突然。




何がいいたいのかといえば、



AI時代って、



これまでの価値観が180度変わるかもしれないぐらいのことだと思ってるんです。



だから壮大な話をさせてください。






封建時代の息苦しさから、




そして軌を一にするように、




科学が発達して、




人々は今までの慣習を捨て去り、




何事も合理的に考えるようになり、




全て人間が理解出来るものによって、判断していくようになりました。。




何事も目に見えるもの、


そして合理的に理解出来るもののみを信じる世界ですね。



ようは、頭のいい人、知能指数の高い人にとっては有利な時代になったってことですね。




こういう人たちが考える世の中ってのは、そりゃ便利で効率的なんですね。



よく考えれば、



今、私たちの周りにある家電製品なんて、殆どこの考えによって生み出されてきたものです。




そしていきついたのが、AIですね。



効率性や利便性という視点からみたら、まさに究極に到達しつつあるわけです。





そして、



とうとう、AIの効率性は人間の効率性を凌駕し始めました。




お気づきの方もおられると思いますが、



ここがポイントなんですよね。



だから今まで求められてきた合理的思考はAIにとって代わられる。


今まで価値があった、知能指数は相対的に価値が下がっていきます。


じゃあ、これからの価値ってなんなんだろうって考えるわけです。



今まであまり価値があるとは思われなかったものの価値が上がっていきますよ。




それは、弱さだと思うんですよね。



そういう意味で、弱さの塊ともいえる障害者の方にとっては面白い時代になっていく気がしますね。



弱さの時代の到来です。



星野富弘さんのことはご存知の方も多いと思います。



もともと体育の先生だった星野さんはクラブ活動の指導中に鉄棒から落下したことが原因で、


手足が不自由になりました。




それはそれは、大変だったと思います。


まさに効率優先社会からは脱落してしまいました。



しかし、星野さん。



口に筆を加えて絵を描くようになりました。



現代社会に適応出来なくなった自分の思い、


様々な葛藤、



でも、そのような状況になったからこそ感じるようになった



窓から見える自然の美しさ。




そんな感情から生まれた絵が、多くの人を感動させています。




小説や芸術は、まさに弱さの賜物だと思うんですよね。




弱さによって生み出される価値が見直されると思いますね。





植松聖さん。容疑者とは呼びたくないんですね。




私も同じ罪人だから。



でも、彼の行った行為は、10年後、20年後には今よりもっと愚行だったと言われているような気がします。





このブログではこれからますます「弱さ」をクローズアップしていきますよ。



面白い時代になりそうですね。


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