「光の画家」として知られる印象派の巨匠クロード・モネ。
その代表作とも言われる睡蓮シリーズ。。。
そしてもうひとり光にこだわったアーティスト「ジェームズ・タレル」
光は、何か物などを媒介として知覚することが出来るものの、それ自体を認知することは難しく、
彼は何とかして、光それ自体を認識し、体験することを目指し作品作りを行いました。
瀬戸内海に浮かぶ、直島には、この二人の作品、しかもこの島にしかない作品が恒久展示されています。
南寺にある、ジェームズ・タレルの「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」は光る長方形の空洞に遭遇します。
これは、光を長方形という形に対象化させ、光を視覚的に認識することを目指したと言われます。
地中美術館にある、ジェームズ・タレルによる「オープン・フィールド」では、
上下も奥行きもはっきりしない空間のなかで、やがて光をとらえ、発見していくことで、
全身で光を体験できる工夫がなされていると言われます。
そして、白く丸い壁の中にモネの睡蓮が掲げられているスペースに行きつきます。
外から自然光を取り入れ、光による時間と共に移り変わる睡蓮の表情、そして生き生きとした自然の営みを表していると言われます。
光と言えば、、クリスチャンとしては、ピンと来ざる負えません。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8章12節)
キリストは御自身を光と表現されました。光はキリスト教の本質です。
そして、やはりモネはカトリック、タレルはクエーカー教徒(プロテスタントのグループ)でした。
「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28章20節)
キリストは目には見えません。しかし、共にいるとはっきりおっしゃっています。
クリスチャンであれば、毎日与えられる日用の食事などの生活に欠かせないもの、心の平安、それらを通して、確かに共におられることを認識出来ます。
まさに光が何かに媒介してしか認識できるように。
そんな光のようなキリストを、モネやタレルは表現しているのではないか。
そんな気がしました。
来月、通訳ガイドとして、直島を訪れます。キリストを意識しながら味わいたいと思います。