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記事のタイトルに悩んで悩んで・・。
出たのがこれでした。。。


新約聖書マタイの福音書5章34節、

決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。
そこは神の御座だからです。


唐突に書いて申し訳ありません。「誓う」
というのは「約束する」ということです。
ここでは、神に誓ってはいけない。
神に約束してはいけない。要するに、、
神と「対等な契約」をしてはいけない。ということです。


ざっくり言うと、、
対等な契約とは契約者双方が平等な履行義務の上に
成り立つ約束です。例えば、公的な社会生活
でのビジネスでの約束、賃貸契約などです。
家族間でこのような対等な契約を結ぶなんてことは
ありません。


この言葉はキリストの弟子達に対して語られたもの
ですが、キリストは弟子達と他人行儀な堅苦しい
契約なんて結びたくはない。とはっきりと表明し
ているのだと理解します。弟子達とは親密な関係を
保つことを望んでおられます。そして何か成果を
上げるとか仕事をするなどといった履行に基づく
契約は一切ありません。


さらに弟子達には次のように語られました。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらの
もの(生活に必要なもの)はすべて、それに加えて与えら
れます。

必要なものは与えられるのです。キリストを
ベンチャーキャピタリストとした
根拠はこの事実に基づきます。


対等な契約というの契約者間双方に履行責任が
伴います。しかし、弟子達がキリストと結んだ
契約は一体どうなっているのでしょうか?


キリストは弟子達に神の国と神の義を求めなさい。
ということです。行いなさいではありません。
求めなさい。ということです。 神の国と神の義が
実現して欲しいと願うことです。


これはあまりにも弟子達に都合が良すぎる不平等契約です。



神の国と神の義を求めさえすれば、一切合切、必要
なものは与えられる。というわけです。弟子達は、
キリストの弟子達は何と恵まれているのでしょう。


キリストの弟子達とは一体誰のことを言うのでしょうか?
この言葉は2000年前にキリストと共に生活していた
12人の弟子達に語られた言葉ですから、この弟子達との
契約です。それでは現在生きている私たちとは関係ない
ことになります。

しかし、マタイの福音書28章19節に驚くべきことが
書かれています。

ですからあなたがたは(弟子達は)行って、あらゆる
国の人々を弟子としなさい。父、子(キリスト)、聖霊
の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがた
に命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。
見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともに
います。

 決して当時の12人の弟子達だけが弟子達ではありません。
この世界が終わるまで、バプテスマを授けられた人すべて
がキリストの弟子である。 とおっしゃっています。

バプテスマとは本質的には自分自身をすべてキリストに献げること
です。 最初のバプテスマはキリストにすべてを献げたいと思った人が、
ヨルダン川に自分の身を沈めた行為です。


水中に身を沈めると死んでしまいます。要するに今までの自分の
考えに従って生きていた生き方を辞めて(死んで)キリストの教え
に従って行くことを象徴的に表した儀式です。儀式ですから身を
沈めると言っても一瞬です。

そしてキリストに従って生きていくことこそ、神の国と神の義を
求めて生きていくことになります。


決して難しいことではありません。神の国と神の義を行うのなら
これはもう不可能ですが、、求めればいいだけなんです。


実生活に役立たない宗教は必要ありません。