父親殺害容疑の医師とその母親が、

父親について「周囲を不幸にする」という内容のメールのやりとり
をしていたと報じられている。



誰でも人から嫌がらせを受けたり、何らかの被害を被れば、
嫌なものだ。時には憎しみの感情が芽生えるのも当然だ。
憎むなと言っても無理な話だ。


旧約聖書箴言28章8節に面白いことが書いてある。

利息と高利とによってその富をます者は、貧しい者を恵む者のために、それをたくわえる。



世の中は理不尽だ。格差社会と言われて久しい。
人は生まれる家を選べない。性別も選べない。時代も選べない。
先進国に生まれる人もいれば、途上国に生まれる人もいる。
生まれた段階で既に、経済的に不利な状況に陥る人もいる。



新約聖書第一コリント3章にはもっと面白いことが書いてある。


世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。 

 あなたがたとは、キリストを救い主と信じるクリスチャンのこと。
にわかには信じがたいことではないだろうか。

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

 これは新約聖書ローマ人への手紙の一節だ。全世界はすべてクリスチャンのものであって、しかも、全てのことが益となる。


たとえ、被害を被っても、嫌なことがあろうとも、すべてクリスチャンにとっては
意味があって、無駄ではない。無駄ではないどころか益になる。と言っている。

ローマ人への手紙には、

愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。


とも書かれている。憎しみの対象への復讐を自分勝手にしてしまうのは勿体ない。
将棋であれば、自分の持ち駒を捨ててしまうようなものだ。


神は、利息と高利とによって富を増す者の富も、貧しい者を恵む者のために備えてくださるように、
自分の敵をも益として、自分のために用いてくださるのだ。