
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ書6章11節12節)
この箇所だけ読むと、特にクリスチャンではない皆様には、おどろおどろしい嫌な感じを受けるかもしれませんね。
この世界の主権や支配者たちは「悪霊」だと断じているからです。
しかし、「国家は暴力装置である」という識者の方もおられる通り、
歴史を見ると、国家とは恐ろしいものです。
歴史は、国家のプロパガンダに翻弄されてきた歴史であるともいえます。
戦後、在日朝鮮人の方々は北朝鮮を「地上の楽園」だと信じ、北朝鮮へと帰国しました。
戦前からの日本人の海外移民も、当時の日本政府は南米を「地上の楽園」だと吹聴しました。そして南米へと多くの方々が移民していきました。
しかし、
現実は程遠いものだったようです。
今も年金問題云々で、騒がれていますが、
やはり、国家を信じてはいけないと思います。
それは国家を司る政治家がだれであるかは関係ないでしょう。
自民党であれ、共産党であれ、立憲民主党であれ、信じてはいけないと思います。
それでは、政府なんかいらないのでしょうか?
再び新約聖書に戻ります。
そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。(第2テモテ2章1節2節)
為政者のために祈り、為政者について感謝するように。それこそ幸せな人生の秘訣であると言っています。
これも為政者がだれであるかは関係ありません。自民党でも共産党でも。
どんな為政者であっても祈りましょう。と。
国家による、警察そして社会福祉は、完全ではないけれども、それらによって我々の生活は支えられています。
国家とは必要悪なんだと思います。
人間の罪故なのでしょうか。